cowboy-平松の部屋

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TR500-Ⅱ、流したら 26秒2 でた

2019-03-14 17:49:25 | 阿部語録 -SUZUKI時代-
阿部語録ーSUZUKI編ー4

TR500-Ⅱ 流したら 26秒2でたぞー

 阿部はこの年の日本GPの予選のタイムアタックでは突っ込みすぎたり、アクセルの開けが急激すぎて
テールスライドさせたり、本人は果敢にアタックしているのに、ピットサインのタイム表示は好タイムが出ず、なん
で、どうして、’流して走ったら、26秒2出た'。 突っ込みすぎてコーナースピード上がらず、テールスライド
で前に進まず、流して、スローINファーストOUT走法、セオリー通りだったんですね。阿部は自分で解説し
てましたよ。
 このTR500-Ⅱで阿部は日本GPの予選で隅谷さんと共にM-ヘイルウッドのコースレコードを破って、
隅谷さんについで2位となりゼッケン2を獲得しました。
当時スズカのコースレコードはMヘイルウッドが持っていて2分28秒、それを、隅谷さんのCB650改?、と
阿部のTR500-Ⅱが2分26.2。これは我々の世界ではとんでもない事なんです。阿部も私もこの
TR500-Ⅱの開発で開発ライダーとして設計者としての自信をも持つことができました。

そうそう、このTR500-Ⅱはマン島でも勝ってるんです。トロフィーがスズキ本社に来ましたよ。
すごい、歴史あるもので,勝者ネームを打刻した金属プレートの貼りつける段が無くなると、一回り
大きな輪を下段にプラスして、また歴史を刻むんです。00さんや、Mヘイルウッドの名もありました
抱えてみました。  これも、とんでもない事なんです。

TR500-Ⅱ、アエルマッキ かっこいいな~

2019-03-14 17:36:52 | 阿部語録 -SUZUKI時代-
阿部語録ーSUZUKI編ー3

TR500-Ⅱ アエルマッキのフレームかっこいいなー

水冷化されたTR500-Ⅱを私と阿部にまかされました。阿部はアエルマッキのフレーム コッコーいいなー 
平松 見ろよと写真をもってきて、このフレーム構成を参考にTR500-Ⅱを作ろうぜ―
W-ヴィラがチャンプをとったアエルマッキ(後にハレーダビットソンが買収)車、このフレームのパイプ構成が
ストレートと単純曲げを組み合わせ、ヘッドパイプ部は三角形で構成させ、ピボット部はしっかりガッセット
で組み合わせる、ヘッドパイプ部とピボット部を間を単純に曲げられたパイプで連結させる、パイプ構成、
ガセット構成、パイプサイズを機能的に組み合わせる、この構成が自分の感覚にあいそうです、
 ライダー阿部の経験から、スイングアームは捩じらせるな、ピボット部は強く、ここが弱いと後ろから舵を
切ってしまいクリッピングポイントへBIKEを向けられない。ヘッドパイプ部もグラグラしないように強く、
ヘソの下あたりでフレーム捩じらせろです。私のイメージではフロントを軸にリヤタイヤをドリフトさせる、スキーの
ウエーデルンですね。私の頭のなかでの設計基準がすごく明確になりました。
 阿部はTR500の空冷で、STDフレームに補強をを入れながら実戦レースに参加し、このような各部位
の明確な役割を からだ で感じたんでしよう。それを私に伝授しくれました、私の頭の中で計算
できそうな、ストレートパイプ+単純曲げフレームを このTR500-Ⅱに採用しました。
 今なら,CATTIAで剛性だ応力だって解析できるが、当時は自分の頭の中に図面を書き、計算
しているんです。応力塗料を塗布しフレームを捩じると、弱い個所(捩じれている)の塗料が割れます
弱い個所が目で見れるテストもしてきました、頭の中で機能的にパイプを組み合わせて、フレームを
捩じっていました。

今から明石に行くぞー

2019-03-14 17:11:42 | 阿部語録 -SUZUKI時代-
阿部語録ーSUZUKI時代ー2

今から明石(カワサキ)にいくぞー

1974年8月、WGP500クラスに出場しているB・シーンの成績が悪く 不安で不安で、自分で設計した
RG500のフレームが駄目なのか、どこが悪いのか、バリーはどんなところに苦しんでいるのか、知り
たくて、見たくって、ヨーロッパへ行かせてくれ、バリーの走りが見たいと、上司に言ったが……、行か
せてくれない、何が原因で勝てないか情報も無い、教えてくれない、私はモンモンとしていました。
阿部はすでにカワサキの契約ライダーになっていた、ライダーとしてスズキとの契約を望んだが 交渉不
成立だった。マン島で優勝した伊藤光夫さんも社員ライダーのままですから、社員からの契約って土壌が
無いのでしょう。 
 その阿部が真夜中 私の借家に侵入し、私の枕をけっとばし、   ’今から明石にいくぞー’
カワサキに来て、またオレのBIKEを作れって事です。浜松から明石に向かう車のなかで、次年のデイトナで
KR750でオレが出場するぞー、まだフレームの画は無い、ベースとなるH2Rは面白い(その時は私は?)
BIKEで……詳細は語らず。 KR750は開発時間もなくでも基本から作り直すから手伝え、そして
なんとかしろ、  250(当時は601ーA,W-GP出場は601-C)も有り、これでヨーロッパもいけるぞーっと
阿部ちゃんに」拉致された訳です。

 バリーとRG500といっしょにWGPの現場に行っていたら、KR250,350,K-バリントン A-マングの8回
W-チャンプは無かったよーです。

TR500 パワー出たぜ

2019-03-14 10:03:23 | 阿部語録 -SUZUKI時代-
阿部語録ーSUZUKI時代ー1

TR500  「パワー出たぜ」

 阿部が空冷のTR500に乗っている時、ベンチ(出力チェック)も回してました。自分でシリンダーを削りポートタイミングを
変更して、高出力が出せたようで 'パワー出たぜ―’ 鼻高々でオレはスゲーんだぜって、息まいてい
ました。まわりの経験のあるメカ、ライダーは、はいはい、いいから走って来いでした、スズキの竜洋のテストコースは近く
レーサーは量産車のテストの間(昼メシ時)にいつでも走行できましたから。阿部はBIKEをキャリー(スズキの軽トラ)に載せて即竜洋へ

そして、走行後、阿部は しょぼって 帰ってきました。
使えないピーキーなパワーでは加速にツナガラナイ事が身に染みて解ったようです。
メカの親方の伊藤利一さんに 阿部 解ったか、いい経験したな、!
言葉でなく、体で体験させたんですね。(負の経験を理解したのも、阿部の資質ですね)

この先、カワサキ、HRCでも常にエンジンの出力特性、キャブのセッテイングに口を酸っぱくし説いたのは
この経験があったからだと、私は直に見て解りました。
ニレ(2輪レスースグループ)で、私(と阿部)は利一さんのメカニックGrに配属され、一から鍛えてもらいました、
4輪のレーサー(Gr7)の製作からで、現場を教え込まれてから、設計業務へ、そして
阿部とTR500-Ⅱを創りました。