cowboy-平松の部屋

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アルミの溶接を享受してくれた門脇工場長

2019-07-28 21:43:34 | 私を育ててくれた人ー
私を育ててくれた人ー2

アルミの溶接を享受してくれた門脇工場長

KAWASAKI時代です  大阪の日本軽金属化工機(日軽化)の大阪工場でKRシリーズのアルミ溶接
をやってもらいました。そして門脇工場長には大変お世話になりました。現在も私の手元には
アルミニュウム・ハンドブック(A4版。300ページ)があります、このハンドブックを見ながら工場長にAℓの使い方
特に、溶接構造に適した材料の選択、熱処理方法、溶接構造に適した設計方法を享受していた
だきました。平松さん御社のモトクロスのスイングアームで熱処理により鈍ってしまって強度部材として
不適切な設計がありました、勉強してから設計して下さい、私が教えましょうから、始まりました
A10系は純アル系で良溶接性ですが強度は有りません、A20系はA2014,A2017A,2024等ありいわゆる
ジュラ板(航空機の材料)で強度は有りますが溶接不可です、Aℓ-Cu系で溶接時Cuが酸化してしまい
冷却時クラックが発生してしまいます、A50系は加工硬化材でプレス製、溶接性は良く、レーサーのガスタンク
等に使われます、A60系は溶接後熱処理を必要とします、A70系のA7075はAℓ材最高強度を有し
超々ジュラで溶接不可です。我々のレース界でフレーム、スイングアームに多用されてる、A7N01は溶接構造
用合金でT6処理後溶接すると時効硬化でT4処理相当に強度が回復する材料です、A7NのNは
日本で開発されたそうです、A7003はA7N01と同等の材料で押し出し性が良好でAℓリムやツインチューブ
のメインパイプ(断面が日の字、目の字)となる材料です。でも平松さんカンジャク棒(溶接棒)はA5356です、
共材(溶接される材料)でも、溶接時に添加材料が酸化されてしまうのです、ですから溶接棒はどの
材料にでも安定して溶接ができる、A5356を使用します、しかし溶接部(ビード部)はA7N01・T4相当の
1/3程度の強度しかありませんので、溶接ビードは溶接される板の3倍の厚さになるように盛って
強度を確保します。我が社の溶接作業者は国家検定1級を取得させております、正しい設計をして
いただけたら、溶接個所から壊れる事はありません、と しっかり教えてもらいました。
日軽化(今は株・UACJ金属加工)で工場見学させてもらって、面白い作業を見せてもらいました
北海道の牧場に建ってるサイロ、(直径5M以上?)屋根、胴体をパーツの別け、巨大なベンダーで少しずつ
Rを加工し(でかいR治具でチェックし)、トラックで搬送し現場で組み立てる(溶接機持参で)んだそうです、
たぶんA5052かな。すごーくかっこ良かった作業現場でした、
明石で設計していて解らない個所があると、門脇工場長 教えてとCB400F(408cc)とベーツのツナギ
(ライムグリーン)で大阪まで2度ほど かっ飛んで行きますと、又、丁寧に教えていただきました
車を運転してると、おー前のナンバー2017だ、5052、7075はないかなと Aℓの材料ナンバーがスラスラと
頭に浮かんできます、そのくらい、勉強しましたよ
後に私がHRCに移籍してから、日軽化さんでNF4(RS125R)のスイングアーム作ってもらいました、
綺麗な溶接でしょう(この話は又、後ほど記します)。

オレしか見てなかった、桶川閉鎖と福本のMX場経営術

2019-07-21 19:13:40 | オレしか見てなかったおもしろ話
オレしか見てなかったおもしろ話ー6

俺しか知らないセフティーパーク桶川の閉鎖と 福本敏夫のMX場経営術

セフティーパーク桶川が閉鎖されてから埼玉では全日本MXが無くなりました、この記事を書いてるの
2000年の頃でしょう。近県の富士スピードウエイ(静岡)、コングランド(長野)も全日本MXから無くなり
今は ひたちなか(茨城で警察の施設)のみですが、場内でテント張れない(土曜日の予選から
息子と龍一郎の応援に行き、車中泊し決勝も応援するパターンでした)、出入りゲートが1個所しかなく
ゲート前の4車線道の信号が赤、数台しか通過しないのにひたすら青待ちで、土曜日の施設外
広場で車内泊するにも、日曜日の帰りの退場時も2時間待ち、もう行かねーよでした。
セフティーパーク桶川が閉鎖された理由は、一部地主、又は一部近隣住民が農地なのに(?)なんで
モトクロスやってるのと、埼玉県に チクッタ ようです。
河川敷でも地主(昔、川の流れが変わって土地が河川敷内に残されてしまった、等)がおります、
本田航空のオジサンかセフティーパーク桶川を管理していた時は、オジサンがコツコツと地主さんを見つけ
土地(農地)を借用したようです、村から転地され細分化された土地もあり、地主さんを探すのは
相当苦労した筈です、探しても借用できない事もありますし。ですから、何人もいる地主さんや村
の盆暮れの寄りあい、祭り等には、一升瓶を片手に挨拶はかかせないようだと聞いております。
土地は農地のまま使用されるのと、他の目的で使用するのと税金が異なるようです、オジサンが
農地転用処置をして、モトクイロス場営業していたか又は、必要であったかは解りませんが、地元では
騒音やほこり等あるものの、セフティーパーク桶川に練習に来る子達が、近隣の商店やGASスタンド
等に、日銭は落とすし、レースイベント時に村に なにがしの収入があったとおもいます、桶川市や
近隣の村は、本田航空のオジサンによるセフティーパーク桶川の営業はウエルカムだったと思われます。
ところが この営業権をHONDA本社と近隣の2輪ショップ(MX専門)が取得(どのように?)しました。
2輪ショップが継続し営業し、当然 営業利益は2輪ショップに入ったでしょう。しかし営業するまでの
苦労、地域との付き合い、盆暮れの一升瓶の挨拶は知らなかったし、なされなかったでしょう。
全日本MX後、埼玉県の方から営業停止をくらったようです、容認していた桶川市は何も言え
なかったのでは、以上あくまで諸情報の積み重ねによる推測です
同じように桶川近くの川越市、八瀬大橋のモトクロスビレッジ(入間川河川敷)、入間大橋と開平橋の
間にあるのオフロードビレッジを経営している、元MX250チャンピオン福本敏夫さんに河川敷のモトクロス場
経営術を一から(土地の借用や取得、中古ブルの購入、一升瓶を片手に挨拶等)聞いてます。
福本とはkawasakiで同期で私が考案したユニトラック(KX250)のデビュー戦、全日本MX桶川で福本が
ブッチギッテ勝ったという腐れ縁がありまして、その後、福本もHONDAに私もHRCに移籍し現在川越
在住です。福本は現役終了後MXショップを経営(ウエストポイント)、MX-BIKE販売実績もNo1で、自チーム
員を八瀬大橋近く河川敷(昔のMCFAJの特設レース場)で教えているのを見た事がありましたね。
MXーBIKEを販売しても、乗れる場所が減少している、本来はメーカーが支援(考える)することですが
福本はモトクロスビレッジを作りました。このコースではNHKの番組、女は度胸という番組の収録で
レディースMX元祖の根本めぐみさん(CR80)と家の息子(幼稚園年長、QR50)がスタント走行しました。
地方戦行える規模のコースで大きなジャンプは無く、テクニカルなコースで、私は好きなコースです。
関東地方で全日本MXが無くなり、福本は入間大橋と開平橋の間の河川敷に全日本MX開催が
可能な土地の借用、取得しました、この場所は設備は川越市で、メインコースは上尾市で、より土地の
取得は大変だったと思われます。コースはダートコース、ミニコース、八の字コース、メインコースはロングスーパーMX
夜間照明等がレイアウトされ、万人が走行できるようになってます。地図で見ますと堤防裏には
ソフトボールが数面できる場所があり、大会時駐車場として確保できるようです、埼玉医大に数分
で行ける地域にあり、コースの地域選択も良く考えていますね。
このモトクロスビレッジで第一回目の全日本MXのコース設営はお手伝いいたしました。けっこう大変でした
全日本MX関東大会の冠スポンサーは埼玉トヨタCUPで埼玉県知事の挨拶、参議院議員(三原じゅん子)
川越市長の挨拶をもらっていて、また、災害時のオフロードBIKE部隊の設営にも尽力しており、
どこからも、チクラレ ないように配慮しているようです。現在HONDAは熊本工場の敷地内にMX場
があります、ヤマハは菅生に、カワサキは九州のオートポリスにあるのかな?
とにかく、福本社長は多々ありますが、関東で全日本を開催できるコースを個人で設営、営業している
している、トンデモナイ方ですね、(他に形容詞が見当たらない)
別記、阿部ちゃん(カワサキで3人がラップしていた時期がありました)の葬式のお手伝いをしてきて、
大変だったけど、阿部ちゃんは喜んでくれたと思うよ、とか、
友人代表で弔辞を述べたけど、なに話したか覚えてない、とか阿部ちゃんの葬儀の話しをしたら
そうか俺が死んだら たぶんオレの息子はヨウ仕切らんだろう 平松ちゃんオレの葬儀も頼むわ
だって。  会うとまだお互いに心臓動いてるか、が挨拶の福本と平松でした。