1987年4月6日にスタートした、ラジオの文化放送の
看板番組『吉田照美のやる気MANMAN』が本日、
20年間の放送に幕を下ろした。
私は第1回目放送から聴いていたので、とても寂しく
鬱になりそうな感じ。
パーソナリティーの吉田照美(写真右)と
小俣雅子(同左)。
この二人の名コンビが、多くのリスナーに愛され、
20年という金字塔をうち立てた。
(真ん中の黒服の中将は誰だ?)
ラジオにも「聴取率調査週間」というのがあり、
この番組は55回も第1位を獲得している。
これほど惜しまれて終了したラジオ番組は、あまり
ないのではないか。
1992年~99年2月まで、定時制やら大学やらで
忙しく、ラジオから遠ざかっていた。
1999年3月、26歳で大学を卒業した青年は、
ふと、カーラジオのスイッチをひねった。
すると、流れて来たのは・・・
かつて慣れ親しんだ吉田・小俣コンビの声だった。
青年:「ま、まだやってたのか!」
青年は驚きつつ、再び「やるマンリスナー」に返り咲いた。
それから8年・・・
今年の3月3日、幕張メッセでのイベントで、青年は
吉田・小俣両氏と初対面。
2002年と2003年のイベントで、公開放送は観ていたが、
事実上の初対面であった。
感動の初対面からひと月も経たずに、番組はフィナーレを迎えた。
番組終了の話は、昨年末には出ていたのだが、実際に
終わってみると、なんとも形容し難い痛みに苛まれる。
ただひとつ言える事は、『やる気マンマン』は
一人の青年の生活の一部に、完全になっていた・・・ということ。
心にぽっかりと開いた穴を、どう埋めたらよいのか、
まだ気持ちの整理が出来ないでいる青年であった。。