31日(木)
昨夜の状態から明け方まではもたないんじゃないかと思いましたが
頑張ってくれていました。
父さんは仕事に行かなければならなかったので
サスケに『待っててね』と伝えて仕事へ行きました。
私は、サスケを点滴をさせに病院へ行く予定になっていましたが
苦しそうで、いつ逝ってもおかしくない
サスケを動かすのは可哀そうなので、悩んでいました。
でも、午後から仕事へ行かなければならず・・・。
色々、葛藤しましたが、仕事中、家で1人にさせるよりも
病院の方が安心だったので、意を決して連れて行きました。
先生には危なそうになったら、すぐ連絡下さいと伝えながらも
サスケの舌や歯茎が白くなり、血の気が引いていく様子を見ていたら
預けても、もたないんじゃないかという気がして
預けるのを戸惑っていました。
大丈夫かな?駄目かな?
先生に何度も何度も聞きましたが、最終的に判断しないといけないのは
私なんですよね。
そんな中、サスケが顔をあげて、私を見て、笑ってくれたんです。
もう何日もサスケの笑顔は見てなかったけど
前日には、父さんにも笑顔を見せてくれたそうです。
実際には笑ってないのかもしれないけど
最後に見せてくれた、サスケの優しさだったんじゃないかと思います。
その間、10分も経っていないと思うのですが
サスケが痙攣し始めて、その数分後に旅立ちました。
2019年1月31日 10時13分 でした。
病院では、汚れた体を綺麗にして頂きました。
サスケは最期まで、私の手を煩わせないようにと
病院で逝くのを選んだのだと思います。
このまま預けずに、家に戻ったとしても、家までもたなかったと思うし
私がしっかり看取れるようにと、サスケの最大限の優しさも伝わりました。
亡くなる3日前には、大きな骨をかじりつき
前日も朝ご飯を食べてくれました。
まずい療法食をギリギリまで食べてくれて
下痢や嘔吐もありませんでした。
いつも、私達の顔色を伺っていたので
心配や迷惑をかけないように、気を遣っていたんだと思います。
もう本当に親孝行すぎます。
4人家族が3人になり、そしてとうとう2人だけになってしまいました。
誰も居ない家に帰るのが苦痛です。
ついこの間まで、わちゃわちゃしてたのに、寂しいな。
でも、サスケに心配かけないように、頑張るからね。
この日は、数か月ぶりに雨が降りました。
サスケは雨男なのですが、最期の日も雨になるなんてサスケらしいな。
リンパ腫と診断されて1年2ヶ月・・・。
腎不全や貧血とも戦って、サスケ一杯一杯頑張りました。
偉かったね。
お疲れ様。
我が家の子になってくれて、ありがとう。
一杯一杯ありがとう。
大大大好きだよ。
またね・・・・・。