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かみさんの祖母が亡くなりました・・・。 享年93歳でした。
昨年、脳梗塞で倒れ、医師からはもう長くないと言われていましたが、それから1年延命しました。
僕は一度も会ったことはありません。 今日始めて告別式で会いました。 初めて会った日がさよならを言う日でした。
日本人の寿命が延びている中、大正生まれで93年の人生。 これはまさに大往生だと思います。
棺の彼女の顔は、遺影よりずいぶん小さかった。 でも薄く紅を引かれたその顔は晩年苦しんだとは思えないぐらい幸せそうな顔をしていました。
人間最後に逝く時は、苦しまず、ただその顔の皺に、その人の人生が刻まれて、送る人に安心感を残して逝きたい。 そんなふうに感じました。
僕の祖母はまだ生きています。 もう96歳になるでしょうか。 でも多分孫の僕の顔もわからないでしょう。 オヤジの顔を見て「誰だっけ?」と言ったそうですから。
子供の頃、毎年夏休みはオヤジの故郷である福井で過ごしていました。 贅沢なものなんて何もなかったですが、オニヤンマを一度でいいから捕まえたかったこと、取れたての西瓜やトマトが美味しかったこと、そしておばあちゃんは一日中畑仕事や家事で、朝から晩まで働き通していたことを思い出します。
棺に横たわるかみさんの祖母に花を添えるとき、我が祖母が逝くときには何て声を変えて上げられるのか。 そんな事を考えつつ、この暑い最中、祖母と暮らした夏休みの想い出がいくつもいくつも目の前を通り過ぎていきました。
人を見送るとき、何故かいつもこの歌が頭の中に流れます。
星がきれいね とっても
近く見えるわ 赤い星 青い星
私中学校の時
バレーボール部にいたのよ
恋人? いたわよ
とっても背が高くて真っ黒に日焼けして
シュークリームが大好きだったキャプテン
私生徒手帳にいつも 彼の写真入れてた
でも死んじゃったの その人
どうして? ううん お母さん教えてくれなかった
こんなきれいな星空だったわ
その人思いきり ジャンプして
そう、お星さまに手が届いちゃったのよ
(「星空」 歌:風 作詞:喜多條忠、作曲:伊勢正三)
写真のてっせん、花言葉は心の美しさ。
合掌
確か106歳だから、明治生まれ。
足こそ悪いものの、頭も気持ちもシャンとしてて、
いまだに父なんか叱られています(笑)
3度も戦争を経験しているんですよねぇ。
曾祖母は、私を育ててくれた人でもあるんです。
この時代、明治生まれの人に育ててもらったなんて、
ちょっと自慢です(^^)
今は離れて住んでいますが、孝行の時間を長く与えてもらった幸運に感謝しつつ、大事に思っていることを伝えつづけようと思います。
あたしもひいおばあちゃん、知ってます。
おばあちゃんが「おっきぃおばあちゃん」で、
ひいおばあちゃんが「ちっちゃいおばあちゃん」でした。
年取ると、小さくなるんですよねぇ、、、
でも認知症がかなり進んでますね。
時々忘れられます…。
父方の祖父母は私たち孫に会う前に他界しました。写真でしか知らないんです。
「星空」と言う歌、初めて知りました。
なんとなく、私の祖父母達の人生はどんなだったのだろうと知りたくなりました
>私も曾祖母が健在です。確か106歳だから、明治生まれ。足こそ悪いものの、頭も気持ちもシャンとしてて、
そうですか^^ もう生きておられるだけで財産だと思います。 明治・大正・昭和・平成と生きて来られた時代のだ生証人ですからね~
>この時代、明治生まれの人に育ててもらったなんて、
ちょっと自慢です(^^)
そうですね^^ それは誇りですよね!
>孝行の時間を長く与えてもらった幸運に感謝しつつ、大事に思っていることを伝えつづけようと思います。
限られた時間だと思いますので、大いに孝行してあげて下さい! ご両親も大切に^^
>おばあちゃんが「おっきぃおばあちゃん」で、ひいおばあちゃんが「ちっちゃいおばあちゃん」でした。 年取ると、小さくなるんですよねぇ、、、
大きな欲もなく、地道に生きた人の顔は安らかな表情ですよね^^ 骨を拾ってもらえるように頑張らなきゃ! 残りの人生を^^
>母方の祖母だけ健在です。でも認知症がかなり進んでますね。時々忘れられます…。
そうですか。 ちょっと悲しいですね、忘れられると。
>父方の祖父母は私たち孫に会う前に他界しました。写真でしか知らないんです。
僕もじいちゃんは写真でしか見たことがありません。というより抱っこされたそうなんですが、記憶にありません><
>「星空」と言う歌、初めて知りました。なんとなく、私の祖父母達の人生はどんなだったのだろうと知りたくなりました
人の人生っていくつものストーリーがあって、それぞれに死に直面して走馬灯のように短い間に一生を振り返れるものなのでしょうかねぇ・・・。
私は今離れていて何もできないけど、おばあちゃんと電話で話そうって思いました。
先日、留学している同い年の仲間が突然亡くなりました。
こうして生きているって本当に尊い事なんだと改めて実感しています。
>「星空」お父さんがギターで弾いていたので知ってますよ。悲しい曲だけど好きです。
そっかぁ、お父さんが歌ってたんですね^^ お父さん、かぐや姫(これは風だけど)とか好きだったもんね!
>私は今離れていて何もできないけど、おばあちゃんと電話で話そうって思いました。
そうだね^^ 離れていても元気な声を聞くと安心するもんね!
>先日、留学している同い年の仲間が突然亡くなりました。 こうして生きているって本当に尊い事なんだと改めて実感しています。
短い人生だったんですね? そう、生きていればこその人生ですよ^^
その友達の分までしっかりjunkoも生きるようにね!
わたしも祖母が痴呆になったときに従兄弟の名前をしきりに言っていたのが印象的でした。
近頃母もだいぶ年を取ったのだと実感してまいりました。cyazさんの記事を見て生きているウチに親孝行せねばと思う次第です。
>わたしも祖母が痴呆になったときに従兄弟の名前をしきりに言っていたのが印象的でした。
そうでしたか。
>近頃母もだいぶ年を取ったのだと実感してまいりました。cyazさんの記事を見て生きているウチに親孝行せねばと思う次第です。
本当そうですね^^ 生きているときにしかできないことですから。
しかし糖尿病を患い、数年前からは失明してほぼ寝たきり状態だった為に
家族で総出で介護にあたり大変な日々を過ごしました。
大きな赤ちゃんみたいなとても可愛い
祖父は絵描きだったので
色のない生活の中は さぞ苦しかったと思います。
殆ど目を瞑ってる事が多く
『目を開けてよ~』と言っても
『目を開けても真っ暗で何も見えないから同じだ~』
と悲しそうに答えてました。
でも自宅介護だったので、いつも誰かが側にいて声掛けしてたし
祖父は最後まで幸せだったと思います。
私と私の父親と二人で看取りましたが
眠るように安らかで穏やかな顔でした。
3月の初旬だというのに晴れてたんですよ!
今は天国で祖母と仲良くしてるんだと思ってます。
それから私は両親や祖父母に対しての感謝の気持ちが強くなりましたねw
長くなってしまいスミマセン
祖父を思い出して泣きそうになりました。
>私の祖父も今年の三月に亡くなりました~享年95歳で大往生でした。
明治生まれだったんですね。
>祖父は絵描きだったので 色のない生活の中は さぞ苦しかったと思います。
そうだったんですか? 今頃は鮮やかな色で自由に好きな絵を描かれていることでしょう!
>祖父は最後まで幸せだったと思います。私と私の父親と二人で看取りましたが眠るように安らかで穏やかな顔でした。
ご苦労様でした。幸せに旅立たれたのだと思います。
>それから私は両親や祖父母に対しての感謝の気持ちが強くなりましたねw
大切なことだと思います。
僕の祖母も明治生まれですが、僕の顔を認識できなくても生きてるうちに会いたいと思っています。