PATOLIS(パトリス)日記~I thank you and flap~
東京に拠点を移しメンバーが増え、新しくなったPATOLISの活動ブログ
 








面白いメッセージを聞きました。
Grace(恵み)をこのように例えた人がいると。

(G)… God’s
(R)… Riches
(A)… At
(C)… Christ’s
(E)… Expense

GRACE:  God’s Riches At Christ’s Expense
キリストの代価ゆえの富

みたいな訳になるのでしょうか?

こんなちょっとした知識が引き出しの中にあるとメッセージに塩味がきいてくるのですよねー🧐




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私たちが罪人であったとき
キリストが私たちのために死んでくださったことにより…
と聖書にあります。

信じるから愛されるのではない
集会に出るから愛されるのではない
奉仕するから愛されるのではない
良い行いをして愛されるのではない

それらは大事だけど

神はどんな私たちを愛してくれるのか?

罪人の私たちを愛してくれる
弱い私たちを愛してくれる
無茶苦茶な人生でも愛してくれる


なぜ?

神が愛だから

神様のご性質に基づいて

愛してくださる


逆らっている時も
自分勝手に生きている時も

神は愛してくださっている


人に出来ないことを神はしてくださった

十字架の贖いによって

それが聖書の語っているメッセージです。

と学びました✨



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「私たちはみな、

羊のようにさまよい、
おのおの、

自分かってな道に向かって行った。

しかし、主は、私たちのすべての咎を
彼に負わせた。」 


(イザヤ書 53章6節)


聖書では人はよく羊にたとえられます。

羊の特徴は

まず、目が悪い

臆病。それは自分の影に怯えるほどです。

迷いやすいー導き手がいないとすぐ迷う

不器用

パニックになりやすく、パニックで体内に悪性ガスが発生して数時間後には死んでしまうそう。

群れでしか生活出来ない。



つまり守ってもらう必要があり

先導者を必要としており

群れの中で生きる


人間ってこんな感じじゃないでしょうか?



人は愛されるために生まれ

守ってもらうように造られています。

色々な形で助けはきます!

岩から水をほとばしらせたり、

突然天からうずらが降ってきたり

カラスが食事を持ってきたり

自分勝手な道に進んで暴れれば暴れるほど

弱ります

毒がまわります


真の導き手の元に帰りませんか?

重荷をおろして




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イエス様は十字架上で7つの言葉を語られました。

その中に「完了した

という言葉があります。

ギリシャ語原語で

テテレスタイ

これは会計用語として使われる言葉です。

すべては終わった

という言葉だと絶望的に聞こえることもありますが、(支払いが)すべて終わった

だと嬉しいですよね。

人は生まれながらに罪人で

本来裁きを受けなければならない存在ですが、身代わりに全く罪のない、汚れのないイエスを十字架につけられたのです。


あの十字架は私たちが本来受けなければならないものだったのです。


十字架にかかられ

いよいよ息を引き取る時に


完了した

テテレスタイ


と語られました。


それは過去と現在、未来に及ぶ罪の支払いは全部終わった、支払いが完了した。完済した。ということです。

それゆえに

神は

わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。(イザヤ43:25)


と言われるのです。


支払いは終わってるのに

支払いのために頑張る必要はもうありません。


それを受けとるだけで良いのです。




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"罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。"
ローマ人への手紙 6章23節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会


本来、人間は神様に造られ、愛されていて、祝福されるために存在しているのに

多くの場合、神様に背を向け、神様を無視した生き方をしてしまっています。

的はずれな生き方をしています。

聖書の語る罪とは原語でハマルティアー

的はずれ

という意味があります。


的を外しているから

一生懸命生きているのに上手くいきません。

夫婦、親子、職場。様々な面でうまくいかない。

それは的を外しているから

罪の結果なのです。


罪人とはズレた生き方をしていることです。


このズレを元に戻すために


神はその独り子、イエス・キリストをこの地上に送ってくださいました。

全く罪のない方を私たちの身代わりにして

十字架にかけられたのです。


プレゼントは受け取って初めて自分のものとなります。


イエスが身代わりに死んでくださった、3日目によみがえってくださった。

この事実を信じて受け取る時


このズレは元に戻り

罪は赦され

永遠のいのち(死んでも天国)


を受け取ることが出来るのです


"神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。"
ヨハネの福音書 3章16節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会




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"イエスは言われた。「まだ悟らないのですか。」"
マルコの福音書 8章21節

悟るとは「思いと結びつく」

という意味合いがあり

知識と経験を現実に起こってくる問題に

結びつけていくことが重要です。

イエスはあえて

弟子たちの手を通して

給食の奇跡を起こされました。

信仰のレッスンですね

このレッスンと今起こっている問題に結びつけることが

鍵となるのです🔑



主の良くしてくださった事を忘れず


あの時助けられた

あの時奇跡を見た

あの時学んだ



それを


いま、現在起こっている問題に


結びつけるのです。


まだ悟らないのですか。





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週に1日、短いMessageをお届けしようと思います。

今回は3回目

それでは聖書をお開きしましょう


"あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか。"
伝道者の書 7章16節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会


人は自分の意見や考えを絶対的なものとする時

簡単に人を責め立ててしまうようになります。

これが聖書の語っている

正しすぎる

ということです。


箴言には

知恵のある人の舌は人をいやす。

とあるのに

軽率に人を剣で刺すような言葉の者がいる

と語っています。箴言12:18


他人を裁いたり、批判したり

文句を言ったりしていませんか

人のせいにして

自分の正しさを主張していませんか?


もしかしたら私たちは人を傷つけているかもしれません。


正しすぎてはならない

と言われています

私たちも注意したいものです。


かつて私は義父の介護をさせてもらっていましたが


ある時大喧嘩になりました

わがままで、勝手で

こっちのことはお構いなし

お金も労力もかかっていて

我慢の限界!

怒りが爆発したのです。

義父の部屋のドアを閉め、2階で祈りました。


すると、、、


謝りに行きなさい


神さまに語られているように感じました。


なぜ?

私は間違ってない

私は正しい

と思いました。

でも

一階に降りて謝るように

促しを感じるのです。


神様には従った方が良い

と思って

膝をついて

謝りました


その場では何の変化もありませんでしたが

その後、義父との関係は激変しました


教会にはあまり好意的ではなかった義父が

日曜日の朝が来ると

着替えて出発を待つようになりました。

私のことを頼りにしてくれて

何かあると


1人娘の妻ではなく


私の名前を何度も 何度も


呼ぶようになったのです。


ある日、義父背中を流している時

一言

ありがとう

と言ってくれました


それが心の底から出できたような


ありがとう

だったのです。



その後間もなくして

義父は天国に旅立っていきました

自分を正しい者として

怒っていたら


そのような良い関係にはならなかったと思います。


怒りは神の義を実現出来ません。

正しすぎる者とならないように気をつけたいですね






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"あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるからです。"
ルカの福音書 12章34節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会


人は多くの物を所有することを求める。

新しい電子機器、洋服、家具、家、車…

確かに新しい物を得ると嬉しいものだ

でもよくよく考えると

私たちの人生の喜びの大半が

何か新しい物を得た時の喜びになってしまっているのかもしれない。

けれど人は物では満足しない。

見える物はやがて朽ち果てる。

そして

新しい物を得ても

喜んでいるのは最初だけで

その喜びはいつまでも続かない。

それで

また次の新しいものが欲しくなるのだ。

聖書は

"人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。"
マタイの福音書 16章26節

と教えている。

物が宝だと 心もそこにあり、物の事ばかり考えるようになり、物のために生きるようになる。

天が宝だと

イエスの事ばかり考えるようになり

イエスのために生きるようになる

それは朽ちない宝

何にも変えがたい宝だ

私たちは何を宝として

生きているだろうか?





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一羽のスズメさえ 神様の許しなしに地に落ちることはない…

1アサリオンとは当時の貨幣の最低の単位。
つまり、1円のようなもの。

古い文語訳聖書には

二羽の雀は一銭にて売るにあらずや


とあるらしい。


一羽では値段もつけられない

二羽で1アサリオン


そんな雀の一羽でもおぼえられている

忘れられていない


ある著名な説教者が

こう話されていた。

5羽の雀は2アサリオンで売られていて…

つまり2羽で1アサリオン。

本来4羽で2アサリオン。

残りの1羽はおまけの1羽。


そんな1羽の雀さえ忘れられない


日本人の髪の毛は7万〜12万本あるらしいが

そんな髪の毛さえも数えられている

それだけ知ってくださっている

それだけ知られている

だから


恐るな‼️



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     PATOLISのブログ  I thankyou and flap             
 はじめにお読みください♪なぜブログタイトルがI Thank you and flapなのか?

PATOLISとはギリシャ語で故郷(父の家)という意味です。
東京都に在住。
クリスチャンによるゴスペルグループです。

全国ゴスペルグループコンテスト北海道地区予選大会に12回出場。
関東地区予選大会に1回出場、8回予選通過。
2009年決勝大会では7位入賞。審査員特別賞受賞。
わたしたちは、オリジナルゴスペルを作詞作曲しています。

 

メンバーはVo.シオン  Co&Gt daniel  
        Flute Sambi  drum or base Timothy

このブログはメンバーによる奮闘記を綴ったブログです。

PATOLISは世界へ
  
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 2009年度 JーGospel やすらぎの歌 最優秀作曲賞、最優秀作詞賞受賞「大きな愛」を
 はじめヒット曲を収録。2トラック目「Your Grace」には20008年度ゴスペルグループコンテスト
 優勝のTrue VineのMさんがコーラスで参加下さっています!
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全5曲 定価1200円 お問い合わせは荒地に川ミュージック


  インターネットラジオ風のひびきで隔週の日曜日パーソナリティーをはじめました!!

     PATOLIS1回目 

 活動履歴とスケジュール(過去の活動内容を確認できます)

 ボランティアのご依頼をお待ちしています。

 YOU TUBEでPATOLISのLIVE映像を中心にUPしています



ご連絡はこちら→ cyrene1456@mail.goo.ne.jp



                      
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昨日は兄の家族が神戸に引越し。
お手伝いにいきました。

神戸でも頑張れ!


ダニエル

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睡眠アプリなるものを入れてみましたが、なかなか良いですね。

睡眠が浅いサイクルを狙って目覚ましがかかります。

イビキや寝言を認識すると自動で録音。

毎日の睡眠管理にGOODです。

ダニエル

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回復  




おはようございます!

今日も気温があがりそうですね。

体調も少しずつ回復。

感謝します。

ダニエル

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先日の路上のあと、食べました。

美味でした。

ダニエル

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なつかしの動画

この曲、キーボード&chorusのノアさんの作詞作曲なのです。

お聴きください!

 

海を越えてPATOLIS

 

この歌で2010年はゴスペルグループコンテスト決勝大会に出場しました。



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