"あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるからです。"
ルカの福音書 12章34節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会
人は多くの物を所有することを求める。
新しい電子機器、洋服、家具、家、車…
確かに新しい物を得ると嬉しいものだ
でもよくよく考えると
私たちの人生の喜びの大半が
何か新しい物を得た時の喜びになってしまっているのかもしれない。
けれど人は物では満足しない。
見える物はやがて朽ち果てる。
そして
新しい物を得ても
喜んでいるのは最初だけで
その喜びはいつまでも続かない。
それで
また次の新しいものが欲しくなるのだ。
聖書は
"人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。"
マタイの福音書 16章26節
と教えている。
物が宝だと 心もそこにあり、物の事ばかり考えるようになり、物のために生きるようになる。
天が宝だと
イエスの事ばかり考えるようになり
イエスのために生きるようになる
それは朽ちない宝
何にも変えがたい宝だ
私たちは何を宝として
生きているだろうか?