ちゅーたのたび

人生メロメロ奮闘記!?

聖徳太子を訪ねる旅5

2012-04-30 | 旅行記
2012年1月16日
初詣をかねて旅の続き。
朝、人身事故あり。運行に影響。
特に問題はなかったが、被害者の様態が気になるな。
さておき、奈良に向かって出発。
今回も近鉄を使用。
でも、普通の指定席。乗客が少なく大和八木に着くまで
隣の席には誰も来なかった。
さて、まずは挨拶がてら御廟のある
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聖徳太子御遺跡霊場第6番「叡福寺」
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この日、叡福寺に僧がいなくて、御朱印はあらかじめ書かれていたものだった。
ご挨拶も終わり、この場を離れた。
隣にある公園には「憲法十七条」が刻まれた石碑があった。
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他にも発掘した時の状況などのレプリカや説明があった。
その辺はよくわからないから流し読み。
さて、次は
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聖徳太子御遺跡霊場第1番「四天王寺」
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用明天皇時代、蘇我氏と物部氏で武力闘争がおきた。
蘇我氏の劣勢を見て、聖徳太子が白膠木(ぬるで)という木を伐って
四天王の形を作り「もしこの戦に勝利したなら、必ずや四天王を安置する
寺塔(てら)を建てる」と誓願。
その甲斐あって、蘇我氏が勝利。
そしてこの寺を建立。
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これは金剛力士。
叡福寺は大阪太子町、そしてここが大阪難波天王寺区。
移動で1時間近く使ってしまい、残念ながら時間が遅くなって内部参拝はできなかった。
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なので、外側からの撮影。
んんんんんん残念。
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「六時堂」
御朱印はここで無事頂くことができた!
薬師如来坐像と四天王像を安置。
覗き見することができなかった・・・
でも、天井や装飾はすごく荘厳な感じだった。
六時堂の手前にあるのは石舞台。
「日本三舞台」のひとつで重要文化財。
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この日はここで終わり。
次のたびの時はここを一番に持ってこよう。
宿は前回と一緒でスーパーホテル大和郡山。
もちろんコンビニ飯。
飛鳥や斑鳩への距離がちょうどいい感じ。
今後もここが拠点となるだろう。



叡福寺へ。

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