daddy-kのいきあたりばったりⅡ

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ボビー・ヴィー/More Than I Can Say

2022-10-24 | 音楽つれづれ

夜が長くなり、星空を見上げるのに良い季節になってきましたが、最近は夜空を見上げる事が無いですね。幼い頃はランプ生活の山奥で育ったので、見上げると満天の星に天の川が流れていたのは、今も思い出すのです。

星にちなんだ歌は一杯ありますね、ベルト・ケンプフェルトの「星空のブルース」とか、ちあきなおみの「星空の小径」とか、唱歌の「星の界」なども好きですが。

80年代にはレオ・セイヤーの「星影のバラード」もヒットし、日本では欧陽菲菲がカバーしていたのも懐かしい…でも歌詞に「星」と一言も出てこないのに、なぜかタイトルと歌とが合う気がして受入れてしまうのは、付けた人の勝ちと言うべきでしょうね。

良い曲ですがどこかで聞いた気が?と、よく考えたらボビー・ヴィーが歌っていました。特に邦題は付かず、原題の「モア・ザン・アイ・キャン・セイ」そのままで。

やや地味な曲なので忘れていましたが、61年のシングル「Stayin’In」のB面曲だったそうで、A面がチャートの33位、こちらも61位とめでたく両面ヒットに。

 

ティーン時代の彼のアイドルがバディ・ホリー。1959年の2月3日地元にバディ・ホリーが来ると言うので心待ちにしていた彼が知ったのが、バディ・ホリーやリッチー・ヴァレンス、ビッグ・ボッパーなどの乗った飛行機が落ち全員死亡と言う悲報、後で言われる「ロックが死んだ日」ですが。

コンサートの主催者は急遽ステージに立つバンドを募集、そこで彼のステージは受け、そこを地元プロモーターに認められ、自作の「スージー・ベイビー」でデビュー。

以降「サヨナラ・ベイビー」の№1ヒットの他、「天使か悪魔か」など何枚ものヒットを飛ばしスターとなってゆくのですが、悲劇をチャンスに代えたのは、日頃から力を蓄えていたからでしょう。チャンスをモノに出来るかはそこで、良く「ネタを仕込んでない手品は出来ない」と言いますから。

余談ですが、彼のバンド「シャドウズ」がピアニストを募集した時、オーディションを受けた一人に、本名をロバート・ツィマーマンと名乗る18歳の青年もいたそうですが、後にボブ・ディランを名乗る人物です。ポップスの世界、意外と広いような狭いような…ですねぇ。※ビルボード・ナンバー1・ヒット:フレッド・ブロンソン著/かまち潤監修 音楽之友社刊を参照しました。

 

この曲「星影のバラード」のオリジナルは、ボビー・ヴィーと思っていたのですが、実はバディ・ホリーが悲劇の前に吹き込んでいて、そこから一年遅れの遺作として1960年に彼のバンド「クリケッツ」名義で発売されていたそうです。バディ・ホリーのアルバムでは聞いた事が無かったもので、恥ずかしながら最近まで知りませんでした。

 

今日10月24日はボビー・ヴィーの命日。

そんな訳で「モア・ザン・アイ・キャン・セイ」と、あの頃のロックン・ロールの事(後追いですが)を書いてみました。

 

■ 以上、聞きたい365日 第326話でした。