daddy-kのいきあたりばったりⅡ

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前田大橋が木の橋だった頃

2024-05-04 | 札幌街ブラ

10年近く前ですが、仕事で外回りをしていて出会った手稲区の軽川に架かる前田大橋。 "大橋"と言っても小さな川の生活道路ですが、その水車を模した木の欄干や、木を使ったスカート部など、とても気に入りました。

この手稲山から流れる軽川は今でこそ小川ですが、昔はもっと水量があって、あちこちで水車の廻る音がしていたのでは無いか? このデザインはその記憶をとどめるため?そう思い役所などに問い合わせるも経緯は不明のまま。私の探求心不足ではあるのですが。

ただ、手稲の駅前に「水車」という美味しい餅菓子屋さんがあり、その店に「初代が軽川の水で水車を廻し精米を始めたのが始まり」とあり、そう外れてはいないと思うのですが。 ※ 当時アメブロに「水車 大福と団子と」としてブログを書きましたのでご参考まで。

仕事をやめ、こちらに来る事も無くしばらくこの橋を忘れていたのですが、ふと思い出し寄って見たところ、木部は無くなって普通のコンクリート橋に代わっていました。

え~っと声が出そうでしたが、私が初めて見てからでも10年近く経つ訳ですし、思い出すとあの頃から欄干などは痛んでましたから安全と耐久性が第一ですし。それでも左右に一カ所づつ、水車の記憶を残してくれていた事に感謝です。

ところでこの前田という地名は、加賀藩前田家の子孫、前田侯爵が開いた前田牧場に由来するそうで、その後手稲町が札幌市と合併し西区となり、そして1989年には分区して今の手稲区となります。

その時鉄工団地など発寒****番地の辺りは、西区と分割され新発寒となったのですが、その時マージャン・ファンは秘かに「発寒区」という名称を期待していたという話があります。札幌には東区、南区、西区、北区、白石区、中央区が既にありましたから、ここで発寒区が出来ると東南西北白發(発)中が揃うと言う事で。

 

軽川花つつみと名付けられた散歩道は、その手稲区と分区された以降に供用されたそうですが、桜並木もかなり大きくなってきていい感じのウォーキングコース。その先にはこいのぼりが泳ぎ油断していたらもう五月。札幌も初夏はそう遠くない時期になりました。



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