自分としては、今年はアイヌ文化に触れる機会が多かった方かなと思いつつも、日高地方で生まれた私がまず先に行かなくてはならなかったのが二風谷で、いつか行こうと思いながら、微妙な距離の遠さについ初めての訪問となりました。
私が行こうとしたのは萱野茂さんの資料館でしたが、2019年に町の「二風谷コタン」が整備されたと言う話は、恥ずかしながら行く前の地図調べで初めて知ったのですが。
先に訪ねた萱野茂二風谷アイヌ資料館。この建物は1972年に二風谷アイヌ文化資料館として開館。その後土地・建物・資料を町に無償移管。1992年にアイヌ民具を集め、一部は新たに制作し再スタートしたそうです。なお二階には世界の少数民族の品が並んでました。
上右の「キラゥウシ トミカムイ イコロ」と言うのは、ユカラの一節に出て来るそうですが、明治以前にごく一部の人が持っていたという記録に基づき、新たに制作されたものだそうです。
中右の「エチユシ」は"ちんちんのある物"と言う意味だそうで、いいねぇ若い人はとその向きはともかく(下ネタで失礼)、これは酒を盃に移す道具で、隣の国日本から渡って来たものに形を見ていろいろ名付けたそうです。
下左の木彫りの熊は、萱野茂氏が参議院議員になった時、阿寒の藤戸竹喜氏より贈られた品だそうですが、その表情や木目の使い方、さほど大きくはないですが圧倒される迫力がありました。また下右の各地方の衣装を見比べられるロッカーは勉強になります。と言っても見るポイントがわからないので、また行って教えてもらわなくては。
続いては「二風谷コタン」で、先の萱野茂資料館とは共通の割引チケットがあります。青空の下チセが並び、中には屋根が葺き替え中の物もあったりで、個人的にはこの手の中で一番リアリティを感じる場所です。
中には初めて見る「クワリ」という仕掛け弓(上右)があり、これは国指定の重要有形民俗文化財になっているそうですが、「ゴールデンカムイ」にもそんなシーンがあったはず。その映画で使った衣装も展示されたいました。ファンには「聖地」のひとつかも知れません。
こちらと萱野茂二風谷アイヌ資料館の写真が一緒になりますが、子供の遊び道具を載せてみました。右は「チレッテトプ」(トには半濁点)でイタドリの笛で、アイヌの子供達が一番最初に作るものだそうです。
真ん中「セイピラッカ」は北寄貝で作った遊び道具。貝に小さな穴を開け縄を通し足指で縄を挟みお馬さんゴッコ。私も子供の頃こうして遊んでいたのは、アイヌの子から教わったわけでは無く近所の子からでしたが、その元々はここなのでしょうか。
そして「エヤミカ」はカケスの罠。アイヌの少年たちの狩猟体験は皆ここから始まったらしいです。罠そのものはサッポロピリカコタンでも見ましたが、具体的な使い方はここで初めて知りました。
そうした豊かな自然に恵まれ遊んでいた子供達が、和人の小学校に通うようになると…
ある時見かけた砂沢クラさん(明治30年生れ)の話に、「私はこれまで何度かアイヌと言われ苛められましたが、意地悪する人はどういう訳か教育もろくに受けられず、下働きの様な仕事をしている人ばかりでした。病院の看護婦をしていた娘時代にアイヌと言って苛めたのは字も書けない車夫でした。学校の先生や医者など教育を受けた人、ものの分かった人達は、私達アイヌを本当の日本人として尊敬してくれました。山で働く営林署の人、発電所の人、炭鉱で働く人も、少しも威張らず私達を大事にしてくれました」とありました。
暮し厳しい人が捌け口に、数を頼りに文化の違う人達を攻撃する。とても悲しい事です。
最後は沙流川歴史館で、ここでは特別展「野生動物とわたしたち」をやっていて、熊が齧ったジュースの空缶なども展示されていました。熊を引き寄せているのは人なのです。残りの入った缶や食べ物には気を付けたいものです。
熊との遭遇が怖くて、今年は登山に行っていない小心者からのお願いでした。