daddy-kのいきあたりばったりⅡ

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嘆きのビンボー変じオリーブの首飾り

2023-08-25 | 音楽つれづれ

オリーブの首飾りと言うと、70年代のポール・モーリアを代表するヒット曲の一つですが、あの頃は若いお嬢さんがエレクトーンで弾いたり、手品のBGMに使われて…など流行った記憶があるのですが、手品のBGMに取り入れた最初は松旭斎すみえさんだったそうです。

 

ポール・モーリアの最初は「恋は水色」で、これは全米ビルボードで 68/02/10 から5週連続№1と大ヒット。これはフランスの楽曲として唯一の全米№1ヒットだそう。もっともデル・ローマの名で書いた「愛のシャリオ」をペギー・マーチが「I Will Follow Him」としてカバーし、63年に№1となっていたので、彼としては2曲目の№1ヒットになるのでしょうけれど。

「恋は水色」は日本でも大ヒットし、その頃ムード・ミュージック(当時こう呼ばれていた)には興味が無かった私も、この曲は少しビート感もある新しさが良いよね、とポップス仲間と話した記憶があります。

それから何度も来日し日本で一番人気のオケとなったポール・モーリア。中でも一番の人気曲は「オリーブの首飾り」でしょうが、曲の元はビンボー・ジェットというグループが74年にヨーロッパで大ヒットさせた「El Bimbo」と言う曲で、ビンボー!ビンボー!と賑やかに掛け声の入るディスコ調の楽しい曲でした。

早速日本でも「嘆きのビンボー」のタイトルで発売され、当時好きだった黒鉄ヒロシさんのイラストが気になり試聴したのですが購入に至らず、また、たいした話題にもならずで、ビンボーと貧乏を引っかけたタイトルが嫌われたのかも知れませんし、原題の Bimboが元々あまり品の良い言い方で無いらしいので、それはそれで良かったのでは?と思いますが…

ともあれ翌年のポール・モーリア盤の発売にあたり、この会社の担当者は「嘆きのビンボー」の不発を横目で見ながら、”オリーブ” ”首飾り”とロマンティックな言葉を入れた邦題にし、この曲を大ヒットさせました。原曲とは何の関係も無くキャッチ―なタイトルに仕上げた担当者のセンスに拍手!です。それもポール・モーリアの華麗な編曲があっての事ですが。

そんな訳でこの曲、私の中では売れなかったザ・ピーナッツの「手編みの靴下」変じ、園まりが歌い大ヒットとなった「逢いたくて逢いたくて」と並ぶ、リメイク・ヒットの成功例として記憶に残るのです。

こちらの写真はYouTubeよりお借りしましたが、最初のジャケは「嘆きのビンボー」のタイトルが大きく入り、ヨーロッパで大ヒットというコピーも入っていた気がするので、これは「オリーブの首飾り」がヒットした時の改定ジャケットなのかも知れません。

 

この曲はビンボー・ジェットのクロード・モルガンが書いたとも、アフガニスタンの歌手/作曲家のアフマド・ザヒルが歌った「ターニャ・ショダム・タナ」が先とも言われますが、本当はどちらなのでしょうね? アフマド・ザヒルの歌声 ⇒ https://www.youtube.com/watch?v=GPincz9p7Jk

ともかくこの曲は大変売れたようで、日本でも歌謡曲やフォーク・デュオが歌うカバー盤が出ていて、私はYouTubeで知った石井明美盤が好みかな? ところでこの曲、私にはオリエンタル風に聞こえるのでカンフー映画に合う気がし、カーク・ダグラスとかが、口角に力みを入れて歌ったら面白かったんではないか?と。

それと少し前までよくマジックのBGMにも使われ、なぜかあのBPM(Beats Per Minute)が、マジックのテンポに合うのです。

いま寄席に出るマジシャンでこの曲を使う人はいないと思うのですが、たまには寄席に出かけ、瞳ナナとか小泉ポロンのマジックを見てみたいな…オミクロン明け(?)までは我慢です。と言うのは、またまた余談でしたが。 【以上聞きたい356日、第298話でした】

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先日の松旭斎すみえさんさんの訃報に接し、ご冥福をお祈りするとともに、彼女がマジックに取り入れた「オリーブの首飾り」について2022年3月のブログを転用し加筆しました。あの頃はコロナと言わずオミクロンと言っていたのですね、まだ終息には期間を要しそう。早く消えろ疫病神と。



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