オッサンパパ、ときどきムスメ、ところにより嫁

オッサンのパパ。ヤンチャムスメ。破天荒嫁の日常。

涼しめなお話

2020-08-24 10:56:17 | 思い出
前置きが長くなりますが、私の母は、私と違いあちらの方々がほんのり見えるらしく

学生の頃から、いろいろな目にあってきた。

学校フケて(サボって)よく家に帰ってた頃に、家に帰ると母親がすごくびっくりした顔して私を見てた。

フケること自体はよくあることだったけど、大体は

お前!学校どーした!

また帰ってきたのか!

等、怒られる方向の言葉が多かったはずが、無言でびっくりして

お、おかえり。あんた今帰ってきたの?

と、言われた。

そ~だけど?って返すと母は

あんたさっきも帰ってきたよね?

わけわからんことを言い出す。

今、帰ってきた。と言うと母はおでこらへんを手のひらでトントン叩きながら「またか〜」とか言ってた。

で、詳しく聞いて冒頭の、母が少し感じる方だと知った。

一度話したからか、それからは何かあるたびに、あんたあそこわかる?とか、遠回りだけどあっちから行きなとか、もうテレビの中の人みたいだった。

何より怖いのが、母はそれに動じないってこと。
見えたから大騒ぎするでもなく、誰かに言いふらすでもなく、淡々としてるのがスゲーって思ってた。

一度それを聞いたことがある
どんなふうにみえるのか?それは何かを話したりするのか?とか、多分普通見えない側の人が思うことの定番の質問だと思う。

母は、普通にいる。声は聞こえない。物理的に何かをしてきたのは見たことないとか、テレビの中に出てくるような人ほど感じてはいないみたいだけど、どーしていいかわからないから反応も言いふらしもしないだけらしい。前にそーゆーのに詳しいひと?に、除霊的なのやってもらったらしいけど、除霊やってる横とか後ろであちら側の人たちがボケーっと見てたんだって。

それを見て、「あ、そりゃそ~だよな、解決策なんて誰もわからないし」

って諦めたんだって。
その後はただ慣れたらしい。

それから歳とってきて、だんだん見なくなってきた〜目も老眼になってきたしなんて冗談混じりに話してた

話はここからです

そんな感じで日にちが経って、母からもそんな話がほとんど出なくなったある日


母からメールが


この画像が添付され、ナニコレ?

って書いてあるだけ。


何それ?って返事返すと、上から垂れてきた。って。

電話すると、天井には何もない、朝風呂入ろうと思ったら垂れてきた。だそうだ。
それ血?って聞いたら

淡々と、血かなー?もう拭いちゃったからわからんだそうだ。

ちなみに上は空き部屋。

その後不動産屋屋と大家呼んで画像見せて調べてもらったけど何もなかったんだって。

私だったら発狂ものだけど、母は

初めて物理的にやってきたなー、あーびっくりした。

と、これまた淡々と言ってた。

ちなみに見出し画像、近所でUFO騒動のときに撮った写真です。写ってるかしら




食べられるように

2020-08-24 07:33:25 | 思い出
むかーしむかーし

若いころに、今は亡き父親のように慕っていた叔父さんとある日食事に行きました。

叔父は自分の食べたいものを全部注文。

私は私の食べたいものを注文。

叔父は、食べたいものを食べたいだけ食べていました。

こう言うと、叔父は大食漢なのかと思いますが、そうではない。一口二口食べて終わり。

あとは若いんだから入るだろ?と、押し付けてきました。

周りの若い子にもしてたらしく、食事に関しては叔父は煙たがられていました。

バブルの頃のお話です。

そんなバブルも終わり、叔父と食事に行くと食べたいもの選んで食事をするように変わっていました。お金があるって怖いなと思いました。

表題のお話はここからです。

その叔父が食に対してうるさい人(元ホテルのコック)で、味付けがどうとか、質がどうとか、お店の人には言いませんが、私や周りの若い連中にはよく教えてくれました。料理のイロハとか。

私から見れば父のような叔父なので、煙たいながらもウンウンと聞いていましたが、周りの若い人たちは相当面倒くさがっていました。

若かった当時私は、野菜が苦手でメインの料理を食べたら、野菜はよく残していました。

叔父はそれを見かねて、ある日オレンジ色の液体の入った1リットルのコーラのビン(昭和ですな)を渡してきました。

叔父が作った特製ドレッシング。これがすごく美味しくて、これをかけると野菜がすんなり食べられる魔法のドレッシング。

魚ばかりの生活に野菜が加えられました。

元々鶏肉以外の肉が苦手で魚ばかり食べてた私は、骨太ではありましたが、ガリガリで肉をもっと食えと周りに言われてました。

肉はホント苦手でしたが、洋食コックだった叔父さんが当時ステーキやソテーの美味しい店によく連れて行ってくれました。ここで焼き加減や部位での味や硬さの違い、ソースの違い等色々教えてもらいながら、イヤイヤながらも肉を食べ、肉の味を覚えていきました。

今から10年ほど前に、叔父が他界しました。死に目には会うことが出来ましたが

生前の頃は叔父はまだまだ長生きする、死ぬなんてことはないと信じ

ドレッシングやステーキソースなどのレシピは聞いていませんでした。
叔父も多分同じ思いだったんだと思います。


食事に行っていた当時はなんで食べたくないものをくわされてんだ?等失礼なこと何度も思っていて、真意はよくわかりませんでした。

今思えば、叔父なりの甥っ子育てだったんだね。

子育てするようになって、叔父の偉大さに気づきました。

野菜も肉も苦労なく食べられるようになりました。むしろ好きになりました。

食の好みは叔父のおかげで、当時の叔父にそっくりだよ。うんちく言えば若い子には嫌われるだろうけどね、自分は言わないことにしたけど 笑



おヘソ取られる〜

2020-08-24 06:54:23 | 子供のお話
最近雷が鳴ると娘が必ず 

おと〜さんおヘソいつも出してるから取られちゃうね

って言ってきます。

いつも出してません。家では風呂上りくらいですヘソ出してるのは

なのに娘はいつもと、言ってきます。


妻にそのことを言うと答えがわかりました

大きな音が苦手な娘と妻は、夜中雷がなると目が覚めるそうです。
私は余程のことがないと夜中に起きることはほぼありません。

外がゴロゴロいってると、娘は自分のへそが雷様に取られまいと、寝てる私のシャツをめくりヘソをあらわにするらしいです…

さらに、その指示は妻が出したらしい

いつもというのは、作られたものだったことがわかりました

風邪ひくからやめて