三才からスキーをやってました。
私の両親は今で言うDQN?ですかね…
バブルでバブってた家だったんですね。ウチは
バブリーダンス世代の一つ前ですかね。バブリーダンスやってる人たちが部下になるような世代ですな。
当然、バブルが弾けて家も弾けましたが 笑
バブルうなぎ登りの頃に幼少期でしたので、映画私をスキーに連れてってのちょっと前スキーが流行初めくらいに両親は
「男だから、普段バク転出来て夏は泳げて冬滑れないとかっこわるいよなぁ」の一言で、体操とスイミングとスキーを三才からスクールに通わされ、無理矢理やらされてた私。
今では動けて泳げて滑れるので、恩でありますが
当時はすべてがイヤイヤやってました
慣れてきて、逆に行きたい行きたいあるあるでした 笑
話はここからです。
そんな頃よく長野や群馬のスキー場に電車で行ってました。確か…あさま号だったと思います。
で、横川駅に止まると他の駅より少し長く止まっていて窓開けると駅のホームにお弁当屋さんがたくさん歩いていて、声をかけると窓まで来てくれて買ったような…あくまで子供の頃の記憶ですので多少違うかもしれませんが…
でいつしか、窓まで来なくなりホームの売店まで買いに降りる方式に変わったような…
今の釜飯は焼き物の器ですが、一時プラスチックのに変わった時代があったような…
透明のビニール紐が器からチョロっと出ていて、それを引っ張って待つと、どういう原理かわかりませんが湯気が出てきて、熱々のお弁当になるという。
いつの間にか無くなってたけど。
あと、プラスチックの容器に針金の把手のおちょこみたいなコップのお茶。熱々ですぐ飲めなかったような…土瓶だったっけな…記憶が、曖昧だ…
んー。記憶が辿々しいなぁ
毎年冬と春、いつも横川の釜飯が楽しみだったのは覚えてます 笑
子供の頃から食いしん坊。というお話でした