燦然たる巨星 投稿者:土佐の川えび 投稿日:2013年 4月10日(水)21時52分25秒 返信・引用
心意門の流れをくむ李能然老師は、なぜ丹田功を採り入れなかったのか?と、よく言われます。
それは、戴家に「義理」をたてたのではないかと思います。
李老師レベルで全伝を受けてないとは考えられません。
当時は表向きには
「心意拳は外には伝えない。只一族のみに伝える」
と公言されてたのでしょう。
「有功労者可教、有義気者可教、有道徳者可教(功労の有る者には教え、義ある者には教え、道徳ある者には教える)」
の言葉は、ただ李老師に、すなわちそのひと個人に送られた。
李老師が師に応えるには、「丹田功を伝えない」。そうすれば戴家の武術ではないのだから、心意門は外に伝わらず師の顔は立つ。
形意門の達人の数は異常で、普通あり得る数字ではありません。
李老師は、何より「義理」を大切にしたのでしょう。そういうお方だったので、俊才ばかり押し寄せてきた。
これは、私の全くの私の想像ですが的外れでもないかなと思います。
三動と六合 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 4月10日(水)22時02分22秒 返信・引用
土佐の光龍さん
>>重動が外三合にあたり、軽動が内三合にあたり、霊動が内外合わせて六合にあたるのではないかと思ってしまいまし
た。勿論、外三合の中にも内三合があり、内三合の中にも外三合がある。そして、バランスがとれ、協調されたもの
が六合かな?それが霊動にあたるのかな?と思ってしまいました。
対応概念として、面白いと思いました。外三合と重動、内三合と軽動・・・・を対応させるというのは、私は考えたことがありませんでした。ですから、なるほど。ユニークだなと思いましたし、わかりやすいなと思いました。
もちろん言葉を異ならせていることは、別々の意図があるわけですから、一致しているわけではありません。外三合を合わせて行けば、広義の意味での、重動にはなりますが、外三合を合わせただけでは、重動は養われません。 内三合も合わせていかなければ、重動にはなっていかない。そういう意味で外三合の中に内三合があるという考え方を述べているのでしょうから、数年前よりも考えが深まっているのがよくわかります。三動は、練功によって得られた、結果であり、六合とは方法であると考えた方が良いのではと思いますがどうでしょう。
Kさんへ 投稿者:土佐の光龍 投稿日:2013年 4月11日(木)07時52分54秒 返信・引用
コメントありがとうございます。
色々、勉強になりましたし、参考になりました。陰陽五行説は、横縦と考える事も出来るんですね。
私は昔、仙道を個人的に実践してた時期が有りました。最後には、怖くなって止めてしまいましたが。確か、仙道には男女間で気を高めていく方法が有りましたよね。房中術でしたか?あれには、ビックリしてしまいました。
コメント、参考にして考察してみなす。ありがとうございます。
うさぎさんへ 投稿者:土佐の光龍 投稿日:2013年 4月11日(木)08時33分58秒 返信・引用
コメントありがとうございます。
確かに方法と結果と考えれば、丸く収まりますね。
只、私の考え方は、直感的な閃きを文章にしただけなので、こんな事になってしまいました。スッキリしました。ありがとうございました。
アドバイスを下さい。 投稿者:土佐の光龍 投稿日:2013年 4月11日(木)11時09分33秒 返信・引用
自分自身の事なのですが、歩法の練習をしていると、虎歩の展身の時、どうしても後ろ足を引きずってしまいます。上手く直せません。何かコツは無いのでしょうか?自分なりには、全身の協調が出来て無いのではと思いますが。アドバイスを宜しくお願いします。
Re: Kさんへ 投稿者:k 投稿日:2013年 4月11日(木)17時32分40秒 返信・引用
> No.360[元記事へ]
土佐の光龍さんへ
> コメント、参考にして考察してみます。
多少なりともお役に立てれば私としても嬉しいです。
「自分がやっていることは何なのか」ということが深く認識できると練拳の質も深くなると思います。
私も、「身体の体液が下腹部に流れ込み下腹部の一部が回転するように動いている」と認識できてからは、この認識にそって霍先生のアドバイスがより深く理解でき、結果として練習の質が向上しました。
神気 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 4月11日(木)22時22分37秒 返信・引用
土佐の光龍さん、後ろ足を移動させるtuo歩は、上級技法ですが、後ろ足を動かさない虎歩を練って勁力をしっかりと練っていかなければ、tuo歩はただの形だけの空虚なものになっていきます。その点を考慮に入れて、土佐の光龍さんが日々練習を練られていることに敬服します。そこのところが、自分はできていると思っている人が実際はできていなくて、無駄な練習になっているのではないかと思ってしまうことがあります。
後ろ足が動いてしまう。一番の原因は、前足を開きすぎることです。その場合は、ほんのわずか歩幅を狭くしてください。他にも前膝が硬いために、舒勁ではなく、逆に前足がブレーキになってしまうのもよく見かけます。後ろ足先が開いてしまう場合は、虎歩になる時に腰、後ろ足膝が開いてしまうことがあると思います。あくまでも搬丹田では正体で練っていきます。guokuaをし、膝、腰、つま先が開かないように気をつけましょう。
それから、武術をやっている人には、神気が強い人が多いですから、気持ちと力が余計に入ってしまう傾向がありますから、特に上半身はリラックスして練習して行きましょう。
慢練でゆっくり動いて確認してみてください。足の裏の意識は重要です。正確に動くことができたらその感覚をしっかり記憶して練習していくことだと思います。間違った練習して繰り返していくと悪癖が身につきます。その意味では、間違いを繰り返すのではなく出来る経験を多くし練習していくことがと思います。
虎歩の後ろ足 投稿者:土佐の光龍 投稿日:2013年 4月12日(金)13時12分53秒 返信・引用
自分なりに、後ろ足が動く原因を考えてみました。先ずは、上半身が斜めに成りすぎて、重心が前に行き過ぎていないか?胸の開合も少し関係しているのか?後は前後、左右、上下の勁のバランス、協調関係等かな?それと、うさぎさんが指摘して下さった歩幅の問題、もうひとつは練習場所で、硬い赤土の地面の上に小さい小石が沢山あって滑りやすくなってるのかな?思い当たるのはそれくらいです。なんとかしなければなりません。
意識 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 4月14日(日)12時32分30秒 返信・引用
土佐の光龍さん
それだけ自分で意識していれば、できていくと思います。
大切なことは、ゆっくりと動いて着実に正確にやっていくことだと言われます。
力を出すのは、それを行えばできます。軽動でしっかりと正確に行う。できてきたら、重動でも確かめてみる。王先生たちが口酸っぱく言っていることですが、私たちは功を焦って、正確さを忘れてしまいがちです。お互い頑張りましょう。
遠方なので、どうしてもブランクが開きすぎてしまいますので、月に一度でも動作を見せていただくような方法を考えていけたらと思います。
Re: 燦然たる巨星 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 4月14日(日)13時03分57秒 返信・引用
> No.358[元記事へ]
土佐の川えびさんへ
> 心意門の流れをくむ李能然老師は、なぜ丹田功を採り入れなかったのか?と、よく言われます。
> それは、戴家に「義理」をたてたのではないかと思います。
> 李老師レベルで全伝を受けてないとは考えられません。
> 当時は表向きには
> 「心意拳は外には伝えない。只一族のみに伝える」
> と公言されてたのでしょう。
> 「有功労者可教、有義気者可教、有道徳者可教(功労の有る者には教え、義ある者には教え、道徳ある者には教える)」
> の言葉は、ただ李老師に、すなわちそのひと個人に送られた。
> 李老師が師に応えるには、「丹田功を伝えない」。そうすれば戴家の武術ではないのだから、心意門は外に伝わらず師の顔は立つ。
> 形意門の達人の数は異常で、普通あり得る数字ではありません。
> 李老師は、何より「義理」を大切にしたのでしょう。そういうお方だったので、俊才ばかり押し寄せてきた。
> これは、私の全くの私の想像ですが的外れでもないかなと思います。
なるほど。とても説得力のある話だと思います。
戴隆邦と李洛農の関係は、日本の合気道で言えば、武田惣角と植芝盛平との関係に似ているなと思うことがよくあります。(今日も練習をし終わって、お茶の時間に武田惣角と植芝盛平の話で盛りがりました。)合気柔術がもともとあって、一人の天才である植芝盛平は、武田が伝えた合気とはまた異なった形で、合気道をつくり伝えた。
広まり多くの達人と呼ばれる人を生み出したのはのは、合気柔術ではなく、合気道でした。武田惣角や佐川幸義、堀川幸道といった達人たちも、ここ十数年前になってやっと名前
を知られるようになったわけですが、合気道の存在や歴史の掘り起こしをする人たちがいなかったら、大東流の達人たちも自体も歴史の影に隠されたままだったと思うんです。
達人であるかどうかは、もちろん実力があるかどうかなのですが、それが知られるかどうか、達人が多いか少ないかは、その門派の知名度にもよってくるのだということもあり、情報がその門派の良し悪しを決めているという変な?話もあるわけです。
講習会の件 投稿者:川藤 投稿日:2013年 4月14日(日)16時50分35秒 返信・引用
こんにちは、奈良の川藤です。5月の連休に今年も講習会は開催されるのでしょうか?
講習会が開催されるのでしたら、奈良練習会の日取りとかち合わない様にと考えております。
宜しくお願いします。
燦然たる巨星 投稿者:土佐の川えび 投稿日:2013年 4月14日(日)19時19分49秒 返信・引用
> No.367[元記事へ]
うさぎさんへのお返事です。
> > 心意門の流れをくむ李能然老師は、なぜ丹田功を採り入れなかったのか?と、よく言われます。
> > それは、戴家に「義理」をたてたのではないかと思います。
>
> なるほど。とても説得力のある話だと思います。
そうでしょう!これは、以前に九州人さん(なかなか身に覚えのあるネームでは?)の書き込みを参考にしています。「戴文熊系にも郭維漢系にも丹田功は伝わってます」
また、この内容はひょっとして、概出かもと思ってたらそうでした。「郭維漢が李洛能に教えてしまって、戴家に悪いから『心』を『形』にかえたとかありますが、知っている方は経緯を教えて下さい」by九州人さん。
私の頭の片隅に記憶があったんですね。
私がこう考えたのは
①形意門下から達人が多数出た。
②戴家より血縁がないのにひょっこり、名が出ている、以下異姓なし。清朝禁武令下
③天才ゆえ、川えびとは発想が違うであろう(内家拳ゆえ心意拳を習いたいとか)よー分からん。
丹田功を廃し、自分の武術を作りたかったのなら、武術名も「心意」に中国音が似た「形意」とせず何かオリジナルの名前にするのでは?
仮に、戴氏を継ぎたくなかったのなら、戴氏の名を隠すはず。形意門下、孫禄堂老師の拳意述真に戴龍邦老師を訪ねたと明記されている。ゆえに、戴家にマイナスの感情はもっていない。
技術的な改変にしても、田功習いましたよと言う弟子が1人ぐらい居てもいいのでは?普通は、それぞれの弟子の特性にあわせ教授するはず。
「丹田功なしで、心意拳なんか教えれねーだろ」と言うのが川えび的凡人の発想でございまして、結果「達人続出」は事実。
技術的理由より、李老師が伝える気がなかった、がスッキリすると思うのです。次回「李老能先生伝」をまとめてみたいと思います。
うさぎさんへ 投稿者:土佐の光龍 投稿日:2013年 4月14日(日)20時36分8秒 返信・引用
コメントありがとうございます。
私、個人は4月から失業中です。スカイプとか、色々考えてはいたのですが、生活が安定しないので、それどころではなくなりました。もう少し生活が安定すれば、方向性も見えてくるのですが、どうしたものでしょう?今、高知の練習会は、週一で参加できる方に合わせて行っています。
安定 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 4月14日(日)20時45分33秒 返信・引用
生活の安定って大事ですよね。不安定になると、武術やめて行く人、これまでも何人も見てきました。それどころじゃなくなりますから。土佐の光龍さんは、不安定になっても続けていらっしゃるから、すごいですよ。
李洛能と丹田功 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 4月14日(日)21時17分3秒 返信・引用
歴史にはロマンがありますが、確定できないものも多く、仮説をいろいろと立てながら考証していかなければならないでしょう。
いくつか仮説を、一般的にいわれているものも含めて今思いつくものをあげると。
1 李洛能には丹田功を教えなかったという説
2 李洛能は丹田功を学んだが、丹田功は否定していった。
3 李洛能が習った時には、丹田功という功法は戴氏心意拳の中に存在していなかった。
私は、どれも説得力のある仮説だと思います。戴氏心意拳にとっても、形意拳にとっても歴史を揺さぶる説だと思います。それを検証して行くことができればすごいですよね。
ひとつひとつの仮説には、なるほどなあと思う歴史背景だとか、根拠となる理由付があるわけですが、また時間がある時にでも気が向いたら書きます。
生活の一部 投稿者:土佐の光龍 投稿日:2013年 4月14日(日)21時29分32秒 返信・引用
私にとっては、生活の一部に成っているので、止めることは出来ません。逆に練功しなければ、気持ち悪い
ので。有る意味、一種の中毒かもしれません。 頑張ってみます。