祁県映海戴氏心意拳倶楽部 公式ブログ

戴隆邦から脈々と受け継がれる戴氏心意拳。王映海伝戴氏心意拳の日本での伝承を行う祁県映海戴氏心意拳倶楽部の公式ブログです。

陰陽五行説と戴氏心意拳

2014-10-12 05:49:41 | 理論―陰陽五行、名言集

陰陽五行説と戴氏心意拳 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 4月14日(日)22時11分19秒 返信・引用


kさん
》この縦方向、つまり五行説の認識と、横方向、つまり陰陽論の認識は、戴氏心意拳の感覚や動作を言語として認識
する時も有効なのでしょう。
私は、陰陽五行説の理解なしには戴氏心意拳を学んでいることにはならないと思っています。一見、科学的といわれる他の理論を持ってきても、それは戴氏心意拳を外側から見た評論家的な解釈であったり、伝統的なものの新解釈であったりするからです。
私が戴氏心意拳を学んだ時には、王映海師父は陰陽五行説や拳譜の内容について諳んじて、いつも語られました。それは練法の指導であっても、用法の指導であっても、それらの言語で持って説明をされたわけです。
私は、戴氏心意拳がどのようなところで、陰陽五行で説明されているのかということを研究していくべきで、陰陽五行説が科学的か非科学的かといったことに時間をかけるのは、練拳者には必要ないだろうと思っています。

》「元々非科学的なものが道教版陰陽五行説になり、更にいかがわしくなった」(霍永利 談)
確かにその通りですよね。様々な宗教、学問、武道には、いかがわしいものがあり、いかがわしいものなのか、そうでないかは、私たち地震が峻別していかなければなりません。陰陽は元々は、月と太陽、五行とは、木火土金水ですから、自然の法則性、関係性ををあらわした、古代の自然科学であるはずです。人間もその自然の中にあり、武術もまたそうであると考えているのだと思っています。





人心見人心 投稿者:土佐の川えび 投稿日:2013年 4月15日(月)00時14分43秒 返信・引用


(これは、私の想像ですよー)

「戴家に拳があるとは知っているが、誰も戴氏が拳を練るのを見たことがない」
「戴氏は門の中で練り、門を出たら撃つ」
商いにて、山西省太谷県まで足を運んだか、ほかに目的はあった。
すでに37歳の壮年。姓は李、諱(本名)は飛羽、字(あざな)は能然、後に「神拳李能然公」と呼ばれる人である。
商用も済まし、さっそく戴龍邦公を訪ねることにした。会ってみると穏やかな話しぶりで覇気も見られず、動作もぎこちなかった。府に落ちず家路についたが、よく考えると立ち振舞いに優雅さがあった。後日、人を立て改めて入門したのである。
かねてより、清朝禁武令下「心意拳を外に伝えるべからず、只一族にのみに伝えよ」と口を酸っぱくいっていた。戴公はこの新しい異姓の者の入門を婉曲に断るつもりだった。
2年が経過した、教えたれたのは五行拳の1行、すなわち劈拳と連環拳の型半路だけだった。しかし、不満に思うことはなかった。
戴公は、考え込むことが多くなった。異姓の入門者に至誠を感じ、その非凡なる才能も既に見抜いていた。武術を伝授しようとは思うが、踏み切れずにいた。
戴公の母上が80歳の誕生日を迎えた。彼女は拳理に深く、祝いの席で一同は拳法を演ずるのが恒例であった。
李能然師はただ連環拳の型のを半路を演じたのみだった。
母上は尋ねた
「なぜ、半路しか練らない?」
「これだけしか学んでいません」
母上は戴公にさとした。
「此人学有2年久、所教者甚少、看来到是忠誠(?僕貫)、可以将此道理、用心教授之(拳意述真、台北・中華武術出版社1970年版引用)
この人はすでに2年も練習してるのに、これだけではあまりにも少ない。見れば誠実でぼくとつな人柄ではないか。もっと心をくだいて道理を教授するがよい」
自分の目に間違いがなかったことに確信し、抱拳にて膝まずいた。そして、立ち上がり伝授を宣言した。前代未聞の出来事に一同はどよめいた。
日を改めて、拝師式を行い戴公は郭維漢太師に李師を教授するよう命じた。また、戴公、戴文雄太師は郭維漢太師、戴文量太師以外の者がいる時は決して教授しなかった。それ以外は教授した。
苦労人の戴公は、李師が他人を凌駕してしまうのは分かっていた。異姓の者には風当たりが強いであろう。ただ、余計な苦労をさせたくない、それだけであった。
ある日、李師の練拳を眺めていると戴公はふと、師の曹継武公が頭に浮かんだ。そばには、同志馬学礼公もいた。師は腰掛け茶を喫し目を細めいった。
「伝人を選ぶとゆうのは、良師を探すのと同じくらい困難じゃ」
2人を見つめ満足そうだった。
「無不随心所欲、手到功成
(心の欲するままに動きつつ、手はおのずから到る。)李師よ、拳は大成した。後は自分で練るがよい」
李老師は47歳になっていた。異姓の者への教授に、師の風当たりの強いことは知っていた。
「本来、私が学べるものではないのに、どうお礼を申せばよいか」
「有功労者可教、有義気者可教、有道徳者可教(功労ある者には教え、義ある者には教え、道徳ある者には教える)」
と、戴公はにこやかに答えるのみだった。

李老師は戴家の武術を伝える気はなかった。戴家の武術が外に漏れなければ、師の顔は立つ。何より「義理」が大切だったのだ。
しかし、武林ではささやかれた。あの「拳があるとは聞くが誰も見たことがない」と言われる戴家から異姓の門人が出た。しかも神業の域に達しているとか?知らぬのは、本人だけ。
最近、しばしば李老師に教えをこう者がおり閉口していた。婉曲に断っているつもりであるが、人を立ててまで入門してくるのだ。そのうち飽きるであろうとも思うが、去る様子もない。
それなり見識のある者に見えるハズだか?
ある日、戴家の門を叩いた自分に重なることに気づいた。考えた末、「丹田功を伝えない」ことにした。世の中や後世の人が、李師は戴家武術を学べなかったのであろう、と言いうのは李師の本意とする所であった。ただ、「義理」を守りたかった。
丹田功を伝えない以外は、かつての師と同じく真心をもって臨んだ。また、師の気持ちを察し、弟子も「形意門」と表記するようになった。

参考文献、きみはもう「拳意述真」を読んだか、笠尾恭二著、BABジャパン
武術2002春号、戴氏祖傳六合心意拳の起源及び形成、霍永利老師著、福昌堂(一部参考)
エピローグ
甲氏はつねに李能然老師の腕を試そうとねらっていた。
先生が身を起こすと、甲氏はつと先生の背後にまわり、不意をついて、がっと抱きかかえ、力任せにもちあげようとした。
しかし、甲氏が両手を伸ばした瞬間、すでに甲氏の体は空中に浮き上がり、天井に頭がぶつかるほどだった。甲氏の体は再び落下し、両足が地上に着いてそのまま倒れることなく直立していた。
「まるで呪術にかかったかのようだ」
甲氏が不思議がると、李先生は言った。
「呪術ではない。これが拳術における上乗神化の功だ。その働きの神妙なること、見ようとしても見えず聞こうとしても聞こえない。とうてい貴方の知るところではないのだ」
当時の人々はついに「神拳李能然」とよんだ。年80余年で、椅子に端座したまま一笑して逝った。
(孫録堂師著・拳意述真)
エピローグ~君はもう拳意述真を読んだか、BABジャパン引用





Re: 陰陽五行説と戴氏心意拳 投稿者:k 投稿日:2013年 4月15日(月)18時54分55秒 返信・引用


うさぎさんへ

> 私は、陰陽五行説の理解なしには戴氏心意拳を学んでいることにはならないと思っています。一見、科学的といわれる他の理論を持ってきても、それは戴氏心意拳を外側から見た評論家的な解釈であったり、伝統的なものの新解釈であったりするからです。

まぁ、色々なアプローチがあると言うことで大らかに受け止めてもらえればと思います。

> 》「元々非科学的なものが道教版陰陽五行説になり、更にいかがわしくなった」(霍永利 談)
> 確かにその通りですよね。様々な宗教、学問、武道には、いかがわしいものがあり、いかがわしいものなのか、そうでないかは、私たち地震が峻別していかなければなりません。陰陽は元々は、月と太陽、五行とは、木火土金水ですから、自然の法則性、関係性ををあらわした、古代の自然科学であるはずです。人間もその自然の中にあり、武術もまたそうであると考えているのだと思っています。

霍先生とお話ししたのは大分前のことなのですが、「非科学的」と言う意味は、現代科学に比べて説得力に欠ける と言う様なニュアンスだったのではないかと思います。また、「いかがわしい」というのは「戴家の道教の一部として取り入得られたとき戴家の道教独自の理論だと言うことを強調する為に本来の五行説とは違った表現になった」と言った様な意味だったと思います。私が「戴家の道教版陰陽五行説とはどんな思想なのですか」とお聞きしたところ、「それは解らない」と言うことでした(^_^;)。ただ、当時の中国人の性格からして「他の思想の影響を受けている(取り入れている)ことを隠し(もし文献が残っているとすれば)あくまでも道教独自の思想として記述したはずた。」と言った様なことだったと思います。

この掲示板が王英海先生の流れを汲むものであることは承知しております。
「違う系統、違った解釈からの投稿も何か参考になることがあるかもしれない」と思っての投稿なのですが、「不要な混乱を招く」と言う考え方もあると思います。

個人的には私(と場合によっては霍先生)の意見も聞いて頂きたいのですが、管理人の方が「あらし」だと感じられるのでしたならば、その旨投稿して頂ければ、以後私の投稿は自重したいと思います。





言葉 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 4月15日(月)20時52分19秒 返信・引用


kさんへ 私なりの信念を表現したかったために、きつい言葉になってしまいました。すみません。気にされないしょうにしてください。kさんは、同じ戴氏心意拳を学ぶ拳友(年上ですので失礼かもしれませんが)と思っておりますのでこれからもよろしくお願いします。この掲示板でもkさんの意見を楽しみにしている人が多いと思います。掲示板にもどしどしご投稿をお願いします。





戴氏の歴史 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 4月15日(月)22時38分29秒 返信・引用


戴氏の歴史については、形意拳側からの歴史については以前からよく発表されていて、日本にも翻訳されています。
戴氏側からの歴史については、中国国内ではここ数年多くなってってきています。いろいろ論争が出てきたりもしています。私も興味がありますが、私の場合は、技術的なことに時間を費やして、歴史研究は薄いと感じていますし、私より有能な研究者はこれからいくらも出てきてくることと思います。



李洛能と丹田功

2014-10-11 22:22:15 | 歴史・文化・芸術・人物

燦然たる巨星 投稿者:土佐の川えび 投稿日:2013年 4月10日(水)21時52分25秒 返信・引用


心意門の流れをくむ李能然老師は、なぜ丹田功を採り入れなかったのか?と、よく言われます。
それは、戴家に「義理」をたてたのではないかと思います。
李老師レベルで全伝を受けてないとは考えられません。
当時は表向きには
「心意拳は外には伝えない。只一族のみに伝える」
と公言されてたのでしょう。
「有功労者可教、有義気者可教、有道徳者可教(功労の有る者には教え、義ある者には教え、道徳ある者には教える)」
の言葉は、ただ李老師に、すなわちそのひと個人に送られた。
李老師が師に応えるには、「丹田功を伝えない」。そうすれば戴家の武術ではないのだから、心意門は外に伝わらず師の顔は立つ。
形意門の達人の数は異常で、普通あり得る数字ではありません。
李老師は、何より「義理」を大切にしたのでしょう。そういうお方だったので、俊才ばかり押し寄せてきた。
これは、私の全くの私の想像ですが的外れでもないかなと思います。





三動と六合 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 4月10日(水)22時02分22秒 返信・引用


土佐の光龍さん
>>重動が外三合にあたり、軽動が内三合にあたり、霊動が内外合わせて六合にあたるのではないかと思ってしまいまし
た。勿論、外三合の中にも内三合があり、内三合の中にも外三合がある。そして、バランスがとれ、協調されたもの
が六合かな?それが霊動にあたるのかな?と思ってしまいました。
対応概念として、面白いと思いました。外三合と重動、内三合と軽動・・・・を対応させるというのは、私は考えたことがありませんでした。ですから、なるほど。ユニークだなと思いましたし、わかりやすいなと思いました。
もちろん言葉を異ならせていることは、別々の意図があるわけですから、一致しているわけではありません。外三合を合わせて行けば、広義の意味での、重動にはなりますが、外三合を合わせただけでは、重動は養われません。 内三合も合わせていかなければ、重動にはなっていかない。そういう意味で外三合の中に内三合があるという考え方を述べているのでしょうから、数年前よりも考えが深まっているのがよくわかります。三動は、練功によって得られた、結果であり、六合とは方法であると考えた方が良いのではと思いますがどうでしょう。






Kさんへ 投稿者:土佐の光龍 投稿日:2013年 4月11日(木)07時52分54秒 返信・引用


コメントありがとうございます。
色々、勉強になりましたし、参考になりました。陰陽五行説は、横縦と考える事も出来るんですね。
私は昔、仙道を個人的に実践してた時期が有りました。最後には、怖くなって止めてしまいましたが。確か、仙道には男女間で気を高めていく方法が有りましたよね。房中術でしたか?あれには、ビックリしてしまいました。
コメント、参考にして考察してみなす。ありがとうございます。





うさぎさんへ 投稿者:土佐の光龍 投稿日:2013年 4月11日(木)08時33分58秒 返信・引用


コメントありがとうございます。
確かに方法と結果と考えれば、丸く収まりますね。
只、私の考え方は、直感的な閃きを文章にしただけなので、こんな事になってしまいました。スッキリしました。ありがとうございました。





アドバイスを下さい。 投稿者:土佐の光龍 投稿日:2013年 4月11日(木)11時09分33秒 返信・引用


自分自身の事なのですが、歩法の練習をしていると、虎歩の展身の時、どうしても後ろ足を引きずってしまいます。上手く直せません。何かコツは無いのでしょうか?自分なりには、全身の協調が出来て無いのではと思いますが。アドバイスを宜しくお願いします。





Re: Kさんへ 投稿者:k 投稿日:2013年 4月11日(木)17時32分40秒 返信・引用


> No.360[元記事へ]

土佐の光龍さんへ

> コメント、参考にして考察してみます。

多少なりともお役に立てれば私としても嬉しいです。

「自分がやっていることは何なのか」ということが深く認識できると練拳の質も深くなると思います。

私も、「身体の体液が下腹部に流れ込み下腹部の一部が回転するように動いている」と認識できてからは、この認識にそって霍先生のアドバイスがより深く理解でき、結果として練習の質が向上しました。





神気 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 4月11日(木)22時22分37秒 返信・引用


土佐の光龍さん、後ろ足を移動させるtuo歩は、上級技法ですが、後ろ足を動かさない虎歩を練って勁力をしっかりと練っていかなければ、tuo歩はただの形だけの空虚なものになっていきます。その点を考慮に入れて、土佐の光龍さんが日々練習を練られていることに敬服します。そこのところが、自分はできていると思っている人が実際はできていなくて、無駄な練習になっているのではないかと思ってしまうことがあります。
 後ろ足が動いてしまう。一番の原因は、前足を開きすぎることです。その場合は、ほんのわずか歩幅を狭くしてください。他にも前膝が硬いために、舒勁ではなく、逆に前足がブレーキになってしまうのもよく見かけます。後ろ足先が開いてしまう場合は、虎歩になる時に腰、後ろ足膝が開いてしまうことがあると思います。あくまでも搬丹田では正体で練っていきます。guokuaをし、膝、腰、つま先が開かないように気をつけましょう。
 それから、武術をやっている人には、神気が強い人が多いですから、気持ちと力が余計に入ってしまう傾向がありますから、特に上半身はリラックスして練習して行きましょう。
 慢練でゆっくり動いて確認してみてください。足の裏の意識は重要です。正確に動くことができたらその感覚をしっかり記憶して練習していくことだと思います。間違った練習して繰り返していくと悪癖が身につきます。その意味では、間違いを繰り返すのではなく出来る経験を多くし練習していくことがと思います。





虎歩の後ろ足 投稿者:土佐の光龍 投稿日:2013年 4月12日(金)13時12分53秒 返信・引用


自分なりに、後ろ足が動く原因を考えてみました。先ずは、上半身が斜めに成りすぎて、重心が前に行き過ぎていないか?胸の開合も少し関係しているのか?後は前後、左右、上下の勁のバランス、協調関係等かな?それと、うさぎさんが指摘して下さった歩幅の問題、もうひとつは練習場所で、硬い赤土の地面の上に小さい小石が沢山あって滑りやすくなってるのかな?思い当たるのはそれくらいです。なんとかしなければなりません。





意識 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 4月14日(日)12時32分30秒 返信・引用


土佐の光龍さん
それだけ自分で意識していれば、できていくと思います。
大切なことは、ゆっくりと動いて着実に正確にやっていくことだと言われます。
力を出すのは、それを行えばできます。軽動でしっかりと正確に行う。できてきたら、重動でも確かめてみる。王先生たちが口酸っぱく言っていることですが、私たちは功を焦って、正確さを忘れてしまいがちです。お互い頑張りましょう。
遠方なので、どうしてもブランクが開きすぎてしまいますので、月に一度でも動作を見せていただくような方法を考えていけたらと思います。





Re: 燦然たる巨星 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 4月14日(日)13時03分57秒 返信・引用


> No.358[元記事へ]

土佐の川えびさんへ

> 心意門の流れをくむ李能然老師は、なぜ丹田功を採り入れなかったのか?と、よく言われます。
> それは、戴家に「義理」をたてたのではないかと思います。
> 李老師レベルで全伝を受けてないとは考えられません。
> 当時は表向きには
> 「心意拳は外には伝えない。只一族のみに伝える」
> と公言されてたのでしょう。
> 「有功労者可教、有義気者可教、有道徳者可教(功労の有る者には教え、義ある者には教え、道徳ある者には教える)」
> の言葉は、ただ李老師に、すなわちそのひと個人に送られた。
> 李老師が師に応えるには、「丹田功を伝えない」。そうすれば戴家の武術ではないのだから、心意門は外に伝わらず師の顔は立つ。
> 形意門の達人の数は異常で、普通あり得る数字ではありません。
> 李老師は、何より「義理」を大切にしたのでしょう。そういうお方だったので、俊才ばかり押し寄せてきた。
> これは、私の全くの私の想像ですが的外れでもないかなと思います。

 なるほど。とても説得力のある話だと思います。
戴隆邦と李洛農の関係は、日本の合気道で言えば、武田惣角と植芝盛平との関係に似ているなと思うことがよくあります。(今日も練習をし終わって、お茶の時間に武田惣角と植芝盛平の話で盛りがりました。)合気柔術がもともとあって、一人の天才である植芝盛平は、武田が伝えた合気とはまた異なった形で、合気道をつくり伝えた。
 広まり多くの達人と呼ばれる人を生み出したのはのは、合気柔術ではなく、合気道でした。武田惣角や佐川幸義、堀川幸道といった達人たちも、ここ十数年前になってやっと名前
を知られるようになったわけですが、合気道の存在や歴史の掘り起こしをする人たちがいなかったら、大東流の達人たちも自体も歴史の影に隠されたままだったと思うんです。
 達人であるかどうかは、もちろん実力があるかどうかなのですが、それが知られるかどうか、達人が多いか少ないかは、その門派の知名度にもよってくるのだということもあり、情報がその門派の良し悪しを決めているという変な?話もあるわけです。





講習会の件 投稿者:川藤 投稿日:2013年 4月14日(日)16時50分35秒 返信・引用


こんにちは、奈良の川藤です。5月の連休に今年も講習会は開催されるのでしょうか?
講習会が開催されるのでしたら、奈良練習会の日取りとかち合わない様にと考えております。
宜しくお願いします。





燦然たる巨星 投稿者:土佐の川えび 投稿日:2013年 4月14日(日)19時19分49秒 返信・引用


> No.367[元記事へ]

うさぎさんへのお返事です。

> > 心意門の流れをくむ李能然老師は、なぜ丹田功を採り入れなかったのか?と、よく言われます。
> > それは、戴家に「義理」をたてたのではないかと思います。
>
>  なるほど。とても説得力のある話だと思います。
そうでしょう!これは、以前に九州人さん(なかなか身に覚えのあるネームでは?)の書き込みを参考にしています。「戴文熊系にも郭維漢系にも丹田功は伝わってます」
また、この内容はひょっとして、概出かもと思ってたらそうでした。「郭維漢が李洛能に教えてしまって、戴家に悪いから『心』を『形』にかえたとかありますが、知っている方は経緯を教えて下さい」by九州人さん。
私の頭の片隅に記憶があったんですね。
私がこう考えたのは
①形意門下から達人が多数出た。
②戴家より血縁がないのにひょっこり、名が出ている、以下異姓なし。清朝禁武令下
③天才ゆえ、川えびとは発想が違うであろう(内家拳ゆえ心意拳を習いたいとか)よー分からん。

丹田功を廃し、自分の武術を作りたかったのなら、武術名も「心意」に中国音が似た「形意」とせず何かオリジナルの名前にするのでは?
仮に、戴氏を継ぎたくなかったのなら、戴氏の名を隠すはず。形意門下、孫禄堂老師の拳意述真に戴龍邦老師を訪ねたと明記されている。ゆえに、戴家にマイナスの感情はもっていない。
技術的な改変にしても、田功習いましたよと言う弟子が1人ぐらい居てもいいのでは?普通は、それぞれの弟子の特性にあわせ教授するはず。

「丹田功なしで、心意拳なんか教えれねーだろ」と言うのが川えび的凡人の発想でございまして、結果「達人続出」は事実。
技術的理由より、李老師が伝える気がなかった、がスッキリすると思うのです。次回「李老能先生伝」をまとめてみたいと思います。





うさぎさんへ 投稿者:土佐の光龍 投稿日:2013年 4月14日(日)20時36分8秒 返信・引用


コメントありがとうございます。
私、個人は4月から失業中です。スカイプとか、色々考えてはいたのですが、生活が安定しないので、それどころではなくなりました。もう少し生活が安定すれば、方向性も見えてくるのですが、どうしたものでしょう?今、高知の練習会は、週一で参加できる方に合わせて行っています。





安定 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 4月14日(日)20時45分33秒 返信・引用


生活の安定って大事ですよね。不安定になると、武術やめて行く人、これまでも何人も見てきました。それどころじゃなくなりますから。土佐の光龍さんは、不安定になっても続けていらっしゃるから、すごいですよ。






李洛能と丹田功 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 4月14日(日)21時17分3秒 返信・引用


歴史にはロマンがありますが、確定できないものも多く、仮説をいろいろと立てながら考証していかなければならないでしょう。
いくつか仮説を、一般的にいわれているものも含めて今思いつくものをあげると。
1 李洛能には丹田功を教えなかったという説
2 李洛能は丹田功を学んだが、丹田功は否定していった。
3 李洛能が習った時には、丹田功という功法は戴氏心意拳の中に存在していなかった。
私は、どれも説得力のある仮説だと思います。戴氏心意拳にとっても、形意拳にとっても歴史を揺さぶる説だと思います。それを検証して行くことができればすごいですよね。
ひとつひとつの仮説には、なるほどなあと思う歴史背景だとか、根拠となる理由付があるわけですが、また時間がある時にでも気が向いたら書きます。






生活の一部 投稿者:土佐の光龍 投稿日:2013年 4月14日(日)21時29分32秒 返信・引用


私にとっては、生活の一部に成っているので、止めることは出来ません。逆に練功しなければ、気持ち悪い
ので。有る意味、一種の中毒かもしれません。 頑張ってみます。


武術大会

2014-10-11 22:14:55 | インフォメーション
土佐も武術が盛り上がる 投稿者:土佐の川えび 投稿日:2013年 4月 9日(火)21時25分19秒 返信・引用


第3回・高知県東部硬式空手道選手権大会、第3回・沖縄又吉古武道高知県東部選手権大会の見学に行って来ました。分会の先生よりのお誘いです。
沖縄又吉古武道は古伝の空手の様です。私は詳しくないので、興味がある方はネットで調べてみて下さい。(間違った解説をして誤解をされたら、いけませんので)
硬式空手道選手権では、防具のスーパーセーフ(面)(Kプロテクター含)(胴)を使用、拳サポーターその他の着用があります。
幼児から社会人まで参加されていました。
心意拳にて出場するのは難しいなと感じました。相手に近づいた時、有効打を取られると思われるからです。参加しようと思う方はルールや雰囲気を研究する必要があります。例えば、防具を使用するため、防具のある所を打撃します。だから、ローキックは見られませんでした。
沖縄又吉古武道の型試合では、私の見た範囲ではほとんどの選手が兵器、武器術でした!すごい。ヌンチャク、三節棍、鎌、鉄甲、釵、棍です!すごい。兵器はきほん体育館や野外でしか練習できない訳で、演舞できるレベルにもっていくには相当の労力がいるハズ。当然、素手の型も練習されてる訳で。ヌンチャクなんかビュンビュンすごかったです。
興味深かったのが「又吉乃鎌」で、アクロバット的ではないのですが凄みというか、私のレベルでは表現出来ません。また、鉄甲術(メリケンサックの様に見えた)は結果的に震脚のようになってましたが、たぶん股(太極拳で使う?)を使っている様にみえました。
で、途中アトラクションとして「ベリーダンス」がありました。一緒に来た友人は「なんなんだ?違うやろ、コレ」と言ってましたが、私はオヤジ的にゼンゼンOK!でした。



的外れなコメント 投稿者:k 投稿日:2013年 4月10日(水)07時36分3秒 返信・引用 編集済


土佐の川えびさんへ

一番最初の訪中の時に霍先生から習ったことは「相手と離れていた時は金的を蹴れ!」ということでした。
少林寺拳法の場合は股間を足の甲で蹴り上げるのですが、霍先生によるとこの方法は「あまり良くない」そうです(^_^;)。

理由は「相手が反応して避けるので、あてるのが難しい」と言うことでした。

相手に当てる為には「相手が飛び込んでくる時、(キックボクシングの様に相手の腹を打って進入を止める蹴りで)相手の金的を蹴れ!」と言うことでした。ちなみに相手が飛び下がる時も「金的を蹴るチャンス」だそうです。

この考え方があるので霍先生のところの戴家拳では、飛び込んで顔を打つ場合の単式練習では、足を上げて金的をガードしながら進入することが基本です。
また、足を引いて後退するときも足を上げて金的をガードしながら後退することが基本となりますが、この辺は王先生の所でも同じなのではないでしょうか。





的外れなコメント(その2) 投稿者:k 投稿日:2013年 4月10日(水)18時24分55秒 返信・引用 編集済


土佐の光龍さんへ

中国思想は素人なのですが、五行説や陰陽論は認識論ではないかと思います。

つまり、男と女の本質を人間として認識し、人間と猿を霊長類として認識する と言う風にどんどんまとめていくと最終的には五つの要素にまとまる。同じ考え方は五大要素というギリシャの古典哲学にもあったと思います。

ここで問題となるのは男と女を人間として認識すると違いの部分が切り落とされてしまいます。「金的」があるかどうかは武術にとって大切なので、この部分を認識しようとする時は、男女一組の比較論として認識しよう というアプローチが陰陽論ではないかと思います。つまり、男を女の対比として認識し、女を男の対比として認識する と言った具合です。

この縦方向、つまり五行説の認識と、横方向、つまり陰陽論の認識は、戴氏心意拳の感覚や動作を言語として認識する時も有効なのでしょう。

「戴氏心意拳は道家にその源を持ち(中略)戴氏心意拳の拳理は道教の心法に符合する」(岳建祖)らしいのですが、不老不死を目指す道教はこの目的の為に陰陽論や五行説などの中国哲学も積極的に取り入れていた様なのです。「元々非科学的なものが道教版陰陽五行説になり、更にいかがわしくなった」(霍永利 談)という考え方もあるのでしょうが、ここで「取り入れる」と言うことが「認識の考え方を取り入れる」と言うことであれば我々も知的ゲームとして大らかに議論しても良いのではないでしょうか。

ちなみに霍先生は「知り合いの道師は未来を予言することが出来る」と話しているくらいなので、道教事態は認めていると思います。また、「拳譜の内容を知っているかどうかは戴家拳を身につけるのには無関係だ」と言う立場らしいのですが、N先生によると「拳譜自体は色々集めていて良く研究している」そうですなので、このような発言は岳先生に対する対抗意識もあるのかもしれません(^_^;)。








的外れじゃないよ 投稿者:土佐の川えび 投稿日:2013年 4月10日(水)20時10分13秒 返信・引用


> No.355[元記事へ]

kさんへのお返事です。

>浮気者の私は、かつて拳法を習ってました。金的蹴りで足首をしゃくり上げて、陰嚢をちぎりとる様な裏技も習った事でした。kさん的に、数多くの場面の中の1例として、こう言う事も想定されると技の優劣論ではないと受け止めてます。戴氏も突っ込み所はありますからね。
よく2チャンネルで「目打ち、金的なんか当たんねーよ」と言われますが「おっしゃるとーり」と言っておきましょう。
実は牽制。目に指を突っ込もうとしたら、誰でも避けますよね。そこを狙っている訳です。八卦掌でもよく使われるセオリーじゃないでしょうか?また、金的蹴りは、あるダメージを与えてから(打撃や閉め技)追加攻撃として使っていたと思います。単体でキめることはなかったかと。技術的疑問ではなく思う所があったので辞めました。で、私の武術浮気人生が始まった訳です。懺悔。
>
> この考え方があるので霍先生のところの戴家拳では、飛び込んで顔を打つ場合の単式練習では、足を上げて金的をガードしながら進入することが基本です。
> また、足を引いて後退するときも足を上げて金的をガードしながら後退することが基本となりますが、この辺は王先生の所でも同じなのではないでしょうか。
>そう、習ったハズ…。私は、技撃にもっとこだわらんといかんかな、と思ってます。小周天なんかに興味があって、気功やらヨーガの本を読んでます。最近、もう1つのブログに解説されてますのでコリャコリャと読んでます。
中国武術大全表紙での霍永利老師の写真を見て「引気法かな」と言う人は王喜成老師系では、まずいないと思います。(そもそも引気法かな?)前々回セミナーを受けた方以外は…。
私の理解した所では、引気法とは気を導く原理であって、全動作に含まれるかなと。無意識に練功している。その事に的をしぼる練功をしてないと思います。だから、初学者に「引気法」といっても、「???」となると思います。kさんがココで取り上げてくれたお陰で、セミナーで解説があったのかもしれません。

うさぎさんへ
光龍さんへの見解はどうでしょう?土佐っ子はせっかちなんで、よろしくお願いします。



重動、軽動、霊動

2014-10-11 21:43:55 | 理論―陰陽五行、名言集

久しぶりに投稿させてもらいます。 投稿者:土佐の光龍 投稿日:2013年 4月 6日(土)23時15分26秒 返信・引用


2年位前に、重動、軽動、霊動について質問させてもらったのですが、再度説明された事を読み返していて、気付きました。六合に当てはまらないかと?重動が外三合にあたり、軽動が内三合にあたり、霊動が内外合わせて六合にあたるのではないかと思ってしまいました。勿論、外三合の中にも内三合があり、内三合の中にも外三合がある。そして、バランスがとれ、協調されたものが六合かな?それが霊動にあたるのかな?と思ってしまいました。今頃、そんなこと言っているのかと言われそうですが。それとも、少し的を外してるのかな?コメント宜しくお願いします。





前回の投稿の続きです。 投稿者:土佐の光龍 投稿日:2013年 4月 9日(火)10時06分0秒 返信・引用


重動、軽動、霊動、考えていたら、他にも当てはまる項目ってありそうですね。例えば、三才とか陰陽学説とか、そこから派生した武術ですから当然ですかねぇ。三才では天が軽動、地が重動、人が霊動に当たり、陰陽学説では陰が重動、陽が軽動、そして太極が霊動、少し考えすぎでしょうか?それとも、当たり前すぎなのでしょうか?コメント宜しくお願いします


肝気

2014-10-11 06:50:14 | 理論―陰陽五行、名言集

肝気と腎気 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 4月 4日(木)22時30分7秒 返信・引用


春は、草木が芽を出し、動物たちも活動的になる。人間もまた自然の一部ですから、その自然の法則にのっかって生きていますから、冬までに蔵した陰の気が陽気となり活発に生き生きと過ごす時期でもあります。心身共にのびのびとよく動かして生活し、ストレスを少なくし、身体にたまりやすい老廃物を出す心身の大掃除の時期だといわれます。季節の病気としては、花粉症や不眠、足腰の関節痛、イライラ、うつ、胃腸の不調などが出やすい季節です。西洋的分析思考では、それぞれの病気は別々の原因として見ていきますが、東洋的な身体観の中では、原因はほぼ同じもので現れ方の違いとして見ていく見方があります。五行では、春は木に属し、内五行は、肝です。五行相生の関係では、水が木を育てます。五行相克では、木は土に克つ関係です。冬に養われるべき水に属する腎が十分に養われていなければ、木に属する肝も養われません。適度な水が木を成長させるように腎気が十分でなければ、肝も十分に養われません。また、腎気が十分であっても、風にあてられたり、過労やストレスが多くなると肝は変調をきたし、イライラ、怒り、うつなどの症状が出てくることがあります。





肝気と脾気 投稿者:事務局 投稿日:2013年 4月 6日(土)01時45分8秒 返信・引用


先日の続きです。
春に養われるのは、肝です。肝は脾に克つ関係にありますから、肝気が実し、過労やイライラ、怒りなどが現れると脾をいためます。ストレスで胃腸を悪くするのはよくあることですし、脾は消化吸収と栄養物から血を生成したり、それらを体に運んでいく役割をします。肩こりも、脾の血の生成やそれを運ぶ作用の低下が原因の一つであったりします。食後眠くなる人は、消化吸収が良くてもそれを運ぶ作用の低下だと考えられます。