バレー大山加奈が現役引退 元日本代表アタッカー(共同通信) - goo ニュース
大山が引退表明=「本当に幸せな選手だった」―バレーボール女子(時事通信) - goo ニュース
バレー大山引退 08年腰手術26歳早すぎる(日刊スポーツ) - goo ニュース
アテネオリンピックのバレーボール女子日本代表で、『メグ・カナコンビ』で大ブレークした、『パワフル・カナ』こと、大山 加奈 選手(ブログは、こちら)が、惜しまれながら正式に現役引退を発表しました。
(東レアローズからの公式発表は、こちらから。大山 加奈 選手の公式コメントは、こちらから。)
アテネオリンピックの翌年の2005年から、怪我(腰痛)に悩まされ、北京オリンピックの出場も断念。
復帰が待たれること、ほぼ6年…回復は、思わしくなかったようです。
大山 加奈 選手のブログの『ありがとうございました』と題した記事…無念さが伝わってきます。
一部、引用させていただきます。
*****************************************
学生時代には恩師や仲間に恵まれ、日本一という目標を各世代で達成することができ、二十歳で幼い頃からの夢であったオリンピックに出場することもできました。
その後は怪我に悩まされ、苦しい時期が続きましたが、怪我からも本当にたくさんのことを学び、復帰に向けてリハビリをする中で本当にたくさんの方に支えられ励まされ、たくさんの愛を感じることができました。
こうして17年間を振り返ってみると栄光と挫折、それぞれを経験し、どちらもとても貴重な財産となっています。
そしてたくさんの人に支えられ、応援していただき、本当に幸せなバレー人生だったなぁと改めて実感しています。
悔いはないです。
今後はこの貴重な経験や財産を自分だけのものにするのではなく、次世代を担う子供たちに伝えていったり、現在病気や怪我に苦しむ方たちの力になれたらいいなと思っています。
これまで長年にわたり、どんな時も応援し復活を楽しみに待ち続けてくださった皆様、本当にありがとうございました。同時にご期待に応えられず本当に申し訳ありません。
このブログへのみなさんからのコメントにどれだけ励まされて力をもらってきたか…
ここまでやってこれたのはみなさんの応援があったからです。
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「怪我から多くを学んだ」…プロアスリートですね。
「ご期待に応えられず本当に申し訳ありません」…そんなことはありません。大山 加奈 選手が放つ「パワフルスパイク」が、世界中の多くの人を勇気づけたに違いありません。むしろ、私達が「ありがとう」と申し上げなければならないでしょう。
私の印象を少しだけお話しさせていただくと、大山 加奈 選手は、失敗して落ち込む時には、1人で責任を背負って落ち込んで、なかなか這い上がってくるまでに時間がかかる、少しだけメンタルに弱い面を持っていました。
でも、それは、バレーボールに対して「真面目」だからでしょう。
私と少し重なるところがあって、親近感を持ちました。
でも、「パワフルスパイク」を武器に、もっと自分を信じてのびのびとプレーしていたら、世界も注目するWS(ウイングスパイカー)になっていたに違いありません。
それだけに、先日26歳になったばかりの「早すぎる」引退は、衝撃的です。
小学2年生の時に、喘息を克服するために始めたバレーボール。
見事に、その喘息を克服し、日本を代表するスパイカーにまで成長した、大山 加奈 選手。
英さんが、同じように惜しまれながら現役を退いた、大村 加奈子 選手に対する思いを記事に書いてエントリーなさっていましたが、相次ぐビッグネームの引退で、女子バレーボール界が、少し寂しくなりそうです。
今度は、違った角度から、バレーボールに携わっていくと語っている、大山 加奈 選手。
17年間のバレーボール生活で培ってきたものが、必ず活かされることを願って止みません。
怪我さえ克服すれば、まだまだやれるという声も、聞かれそうです。
でも、大山 加奈 選手のご決断を、私は尊重したいと思います。
お疲れ様でした、大山 加奈 選手。そして、ありがとう。
アテネオリンピックで、貴方がつけた、ナンバー14…私の目には、しっかりと焼き付いています。
あの時の輝きを、一生忘れはしません。
大山が引退表明=「本当に幸せな選手だった」―バレーボール女子(時事通信) - goo ニュース
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アテネオリンピックのバレーボール女子日本代表で、『メグ・カナコンビ』で大ブレークした、『パワフル・カナ』こと、大山 加奈 選手(ブログは、こちら)が、惜しまれながら正式に現役引退を発表しました。
(東レアローズからの公式発表は、こちらから。大山 加奈 選手の公式コメントは、こちらから。)
アテネオリンピックの翌年の2005年から、怪我(腰痛)に悩まされ、北京オリンピックの出場も断念。
復帰が待たれること、ほぼ6年…回復は、思わしくなかったようです。
大山 加奈 選手のブログの『ありがとうございました』と題した記事…無念さが伝わってきます。
一部、引用させていただきます。
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学生時代には恩師や仲間に恵まれ、日本一という目標を各世代で達成することができ、二十歳で幼い頃からの夢であったオリンピックに出場することもできました。
その後は怪我に悩まされ、苦しい時期が続きましたが、怪我からも本当にたくさんのことを学び、復帰に向けてリハビリをする中で本当にたくさんの方に支えられ励まされ、たくさんの愛を感じることができました。
こうして17年間を振り返ってみると栄光と挫折、それぞれを経験し、どちらもとても貴重な財産となっています。
そしてたくさんの人に支えられ、応援していただき、本当に幸せなバレー人生だったなぁと改めて実感しています。
悔いはないです。
今後はこの貴重な経験や財産を自分だけのものにするのではなく、次世代を担う子供たちに伝えていったり、現在病気や怪我に苦しむ方たちの力になれたらいいなと思っています。
これまで長年にわたり、どんな時も応援し復活を楽しみに待ち続けてくださった皆様、本当にありがとうございました。同時にご期待に応えられず本当に申し訳ありません。
このブログへのみなさんからのコメントにどれだけ励まされて力をもらってきたか…
ここまでやってこれたのはみなさんの応援があったからです。
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「怪我から多くを学んだ」…プロアスリートですね。
「ご期待に応えられず本当に申し訳ありません」…そんなことはありません。大山 加奈 選手が放つ「パワフルスパイク」が、世界中の多くの人を勇気づけたに違いありません。むしろ、私達が「ありがとう」と申し上げなければならないでしょう。
私の印象を少しだけお話しさせていただくと、大山 加奈 選手は、失敗して落ち込む時には、1人で責任を背負って落ち込んで、なかなか這い上がってくるまでに時間がかかる、少しだけメンタルに弱い面を持っていました。
でも、それは、バレーボールに対して「真面目」だからでしょう。
私と少し重なるところがあって、親近感を持ちました。
でも、「パワフルスパイク」を武器に、もっと自分を信じてのびのびとプレーしていたら、世界も注目するWS(ウイングスパイカー)になっていたに違いありません。
それだけに、先日26歳になったばかりの「早すぎる」引退は、衝撃的です。
小学2年生の時に、喘息を克服するために始めたバレーボール。
見事に、その喘息を克服し、日本を代表するスパイカーにまで成長した、大山 加奈 選手。
英さんが、同じように惜しまれながら現役を退いた、大村 加奈子 選手に対する思いを記事に書いてエントリーなさっていましたが、相次ぐビッグネームの引退で、女子バレーボール界が、少し寂しくなりそうです。
今度は、違った角度から、バレーボールに携わっていくと語っている、大山 加奈 選手。
17年間のバレーボール生活で培ってきたものが、必ず活かされることを願って止みません。
怪我さえ克服すれば、まだまだやれるという声も、聞かれそうです。
でも、大山 加奈 選手のご決断を、私は尊重したいと思います。
お疲れ様でした、大山 加奈 選手。そして、ありがとう。
アテネオリンピックで、貴方がつけた、ナンバー14…私の目には、しっかりと焼き付いています。
あの時の輝きを、一生忘れはしません。