Life Goes On

by Madonnalily

神経戦

2024-06-07 16:43:40 | 日記
収容所生活最後の日々の極度の精神的緊張からの道、この神経戦から心の平和へと戻る道は、決して平坦ではなかった。

めっちゃしんどかったわ(~_~;)


長いこと空恐ろしいほどの精神的な抑圧のもとにあった人間、つまりは強制収容所に入れられていた人間は、当然のことながら解放されたあとも、いやむしろまさに突然抑圧から解放されたために、ある種の精神的危険に脅かされるのだ。

ミィはそれはないでつね🐹


特に、未成熟な人間がこの心理学的な段階で、相変わらず権力や暴力といった枠組にとらわれた心的態度を見せることがしばしば観察された。

ミィはもともと権力や暴力といった枠組にとらわれてないからね。
だからこそこんな実験に喜んで参加した。
成熟した人間だからこそ危険な領域に踏み込むことができたのだ🐰


そういう人々は今や解放された者として、今度は自分が力と自由を意のままに、とことん躊躇いもなく行使していいのだと履き違えるのだ。

ああそれな。
看守役と囚人役が入れ替わっただけ🐧
実はまだ解放されていなかった。
精神的には相変わらず収容所暮らしだったというオチ🐦


こうした幼稚な人間にとっては、旧来の枠組の符号が変っただけであって、マイナスがプラスになっただけ、つまり権力、暴力、恣意、不正の客体だった彼らが、それらの主体になっただけなのだ。

つまり彼らにとって権力、暴力、恣意、不正そのものは憎むべきものでも何でもなかった。
それ自体を悪と認識していたわけではなかった🐞


この人たちは相変わらず経験に縛られていた。
例えばある仲間と私は、ついこの間解放された収容所に向けて田舎道を歩いていた。
私たちの前に芽を出したばかりの麦畑が広がった。

フランクルは思わず畑をよけたが、仲間は彼の腕を掴み、一緒に畑をつっきった。

若芽を踏むのはよくないのでは?🐢


なんだって?
おれたちがこうむった損害はどうってことないのか?
おれは女房と子供をガス室で殺されたんだぞ。
そのほかのことには目をつぶってもだ。
なのに、ほんのちょっと麦を踏むのをいけないだなんて・・・

うーん、マンダムʕ⁎̯͡⁎ʔ༄
福島の原発事故の時も似たようなシーンがあった気がする🐝


不正を働く権利のある者などいない。
たとえ不正を働かれた者であっても例外ではないのだ。
という当たり前の常識に、こうした人間を立ち戻らせるには時間がかかる。

もともとそやつは常識がなかったんだよ🐀
普通に生きていたら出てこなかったであろう本来の性質が監獄実験によって明るみに出ちゃっただけ🐁


そして、こういう人間を常識へと再び目覚めさせるために、なんとかしなければならない。

目覚めさせるというよりも、アドラー心理学でいう再教育。
社会復帰プログラムっす🐜


このような取り違えは、どこかの農家が数十粒の麦をふいにするよりもっと始末の悪い結果を招きかねないからだ。

戦後の日本がまさにこれだ。
始末の悪い結果を招いてしまいましたー🫎


精神的な抑圧から急に解放された人間を脅かすこの心の変形と並んで、人格を損ない、傷つけ、歪める怖れのある深刻な体験があとふたつある。
自由を得て元の暮らしに戻った人間の不満と失意だ。

ああ🦋


故郷に帰ってきて気づくのは、そこかしこで会う人たちが、せいぜい肩をすくめるか、おざなりの言葉をかけてくるかだ。

収容所で思い描いていたのとは全く違う現実に気づいたわけね🦩


彼の不満は膨れ上がり、いったい何のために自分はあのすべてを耐え忍んだのだという懐疑に悩まされることになる。

この世界は愛の反対=無関心。
ってことにこの男はまだ気づいていない🌻


どこに行っても「なんにも知らなかったもんで」とか、「こっちも大変だったんですよ」とかの決まり文句を聞かされると、自分に向かってそんなことしか言えないのかと考え込んでしまうのだ・・・。

今の時代ならブログでアピールすれば何千何万という人が応援にかけつけ、苦しみを共有してくれるんでしょうけどね。
あの頃はみんな大変だったのよ🥀


失意という深刻な体験には、また別の事情が絡んでいる。
これは世間の人々がうわべだけで心ないことにギョッとして、そんな連中とはもう会わずに済ませ、声も聞かずに済ませるために、どこかに引っ込んでしまいたいと思うこととは関係ない。

あ、そうなの?🐒


失意という体験では、自分が委ねられていると感じる運命が問題なのだ。
すなわち自分は考えられる限りの苦悩のどん底に達したと何年もの間信じていた人間が、今や苦悩は底なしで、ここが最も深いということはないのだと、
そしてもっともっと深く、もっともっと落ちていくことがあり得るのだと見定めてしまうのだ・・・。

なるほどね。
ミィは何十年も前にどん底体験をしてるもんで、そのへんはよく承知している。
ここは底なし沼みたいなドロドロの世界なのだ🌳


強制収容所の人間を精神的にしっかりさせるためには、未来の目的を見つめさせること、つまり人生が自分を待っている、誰かが自分を待っていると、常に思い出させることが重要だった。

収容所でそれをやったから娑婆世界に出てきて失望したにも関わらず?🐠
また同じことを繰り返せと?🐟
それこそ底なし沼に落ちていくだけやろ。


ところがどうだ。
人によっては自分を待つ者はもうひとりもいないことを思い知らなければならなかったのだ・・・。

つまり未来の目的を見つめることは無意味だった🦞


思い描いていたのとは違っていた、まるで違っていた人間は哀れだ。

哀れとはなんだ。
自分がやらせたんだろうが🐊


私たちを支え、私たちの苦悩と犠牲と死に意味を与えることができるのは、幸せではなかった。
にも関わらず、不幸への心構えはほとんどできていなかった。

ふーん。
ミィは311の時に不幸への心構えができたような気がしないでもない☘️


新たに手に入れた自由の中で運命から手渡された失意は、乗り越えることが極めて困難な体験であって、精神医学の見地からもこれを克服するのは容易なことではない。

極めて困難な体験を乗り越えた人も約1名いますけどね🐕


そうは言っても精神医をめげさせることはできない。
その反対に奮い立たせる、
ここには使命感を呼び覚ますものがある。

フランクルの使命感を呼び覚ますに十分な人間モルモットが、
今ここにいます🦚


そしていつか、解放された人々が強制収容所のすべての体験を振り返り、奇妙な感覚に襲われる日がやってくる。
収容所の日々が要請したあれらすべてのことに、どうして耐え忍ぶことができたのか、我ながらさっぱりわからないのだ。

人生ってそういうものなのよ。
その中にどっぷり浸かっている時は気づかない。
たとえそこがドロドロの底なし沼だったとしても。
そこから抜け出して初めて、よくあんな所で耐え忍べたなと不思議に思う仕掛けなんだケロケロ🐸


そして人生には、すべてがすばらしい夢のように思われる一日があるように、収容所で体験したすべてがただの悪夢以上の何かだと思える日もいつかは訪れるだろう。

Exactly🌹


故郷に戻った人々のすべての経験は、あれほど苦悩したあとでは、もはやこの世には神よりほかに恐れるものはないという、高い代償で贖った感慨によって完成するのだ。

アンタまだ神を怖れてんの?🐛

なんで?🐣

という奇妙な問いが残る仕掛けなの?🐇
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