蝦夷、アテルイ
アテルイは奈良時代末から平安時代初期にかけて、東北地方にいた蝦夷の族長を務めていた人物。
蝦夷とは8世紀、東北地方で狩猟を生業としていた人々です。
中央からの独立を保っていた蝦夷。
それを支配下に置こうとする朝廷と戦を繰り広げていました。
かっくいいʕ⁎̯͡⁎ʔ༄
蝦夷の強さは朝廷側の歴史書に記されています。
弓馬の戦闘は蝦夷の生業であり、蝦夷一人の強さは朝廷の兵士十人に相当する
789年、朝廷は蝦夷を討つため東北に兵を送ります。
蝦夷軍1500人に対し、朝廷軍6000人。
だめじゃん🐢
その時点で勝敗決まってんじゃん。
しかも朝廷軍は大半が歩兵。
弓馬の得意な蝦夷に勝てるわきゃない🐛
朝廷軍にとっては陣形が組みやすい平地が有利。
そこでアテルイが目をつけたのが川の東側でした。
西と東は全然違う。
西側は平地、東側には森があり山がちな地形。
アテルイはここに朝廷軍を誘い込みます。
が、なぜか退却する蝦夷。
深追いする朝廷軍。
森の近くまできたその時、
森の中に潜んでいた蝦夷の騎馬隊が一斉に突撃。
雨のような矢を射かけます。
朝廷軍惨敗🥀
1000人以上の兵を失う。
アテルイは非常に読みが利くというか、非常に果断で沈着冷静。
計算巧みな戦いの指導者だった。
優れた騎射の技術と知略を備えた名将アテルイ。
騎射と知略が重なり合い、蝦夷は鬼と恐れられるほどの強さを誇ったのです。
かっくいい^o^
当時、蝦夷は朝廷側と違う言葉を話していた。
蝦夷はもともと小さな部族で、分かれて生活していた。
たとえ朝廷に抵抗したとしても小規模な抵抗にすぎなかったが、アテルイが大規模な組織にまとめ上げ、すごい強さを発揮して、朝廷とは13年間戦い続けている。
そこで田村麻呂はアテルイと他の蝦夷を切り離し、力を弱める。
さらにアテルイの領地のすぐそばに巨大な城壁(東京ドーム9個分)を建て、蝦夷攻略のため、これまでにない10万の軍勢を集める。
動揺した蝦夷軍は内部分裂を引き起こし敗北。
802年アテルイ降伏。
その後京都に送られ斬首される。
降伏したものを殺すのは人類だけ🌻
こうして東北は朝廷の支配下になったのです。
めでたしめでたし🌹
実は田村麻呂はアテルイが降伏したあと、つまり殺される前に、こんなことを朝廷に申し述べているんです。
従わない他の蝦夷を懐かせるため、アテルイを故郷へ戻すべきだ。
へえ🦘
田村麻呂は実際に戦ってアテルイの実力とか人物がわかったので、大規模に蝦夷をまとめ上げたアテルイの影響力を、今後朝廷が東北を治めていくわけなので、逆に彼を生かして利用しようという、そういう気持ちもあったのかもしれないですね。
でも殺されてしまった🐫
朝廷や貴族にとってアテルイは恐怖以外の何ものでもなかったので、とにかく怖かった。
助命嘆願どころではないと、田村麻呂の願いを無視して処刑しちゃった。
蝦夷のその後
朝廷は蝦夷たちを日本各地に移住させる政策をとる。
彼らは俘囚と呼ばれ、故郷を追われ、全国各地に強制移住させられた。
特に多いのが大陸への備えとして九州。
そして関東。
関東は朝廷から手が届かない場所で治安維持が難しく、対策がほとんどとれていなかった。
蝦夷はもともと強い人たちなので治安維持に投入できれば心強い。
盗賊や海賊が蔓延っていた関東。
蝦夷は騎射の技術を買われ、賊を取り締まる警察の役割を与えられたのです。
めでたしめでたし🐁
その後なんだかんだで自称天皇の子孫とのつながりを強め、武士の時代が始まるわけですね🐀
平将門など強力な武士が現れるようになりました。
そして11世紀、関東に最強の武士が登場します。
八幡太郎義家~🦞
清和天皇の血をひく源氏の棟梁。
騎射の達人で神の如しと称えられるほどの腕前でした。
蝦夷、俘囚の技術を手に入れて強くなっていく武士ですが、
しかしこれ、一回導入すると蝦夷、俘囚を乗り越えて武士の方が強くなっていく。
その能力を受け継いでさらに研ぎ澄ました、後に武士の長者と呼ばれますけれども、一気に武士のトップ、誰も追いつけない頂点に引っ張っていったのが源義家です。
絶対に友達になりたくないやつ🐝
頼朝もやだけど、祖先もいやじゃ🦋
騎射の技術を磨き、ある場所に攻め込みます。
東北です。
ぴぇーっ🦑
朝廷に征服された東北、200年余り経ち、蝦夷が力を取り戻していました。
源氏が狙ったのは金や馬など東北の産物。
ここを押さえれば軍事力と富の両方を手にすることができる。
1051年、蝦夷のリーダーだった安倍氏を攻め滅ぼします。
こんバチ当たりめが🦂
義家は朝廷の許しもなく勝手に攻め込んだのだが、父親が陸奥守で、安倍氏が仕掛けてきたからという大義名分があったのじゃ🐍
滅ぼした後は朝廷から褒美までもらったそうな。
ああおぞましい🐌
陸奥の魅力✨
砂金と名馬の最大の産地で収益性が高い。
辺境なので搾取しても朝廷から咎められる可能性が低い。
一攫千金を狙うなら陸奥!
国司の任期は4年。
一定の税を納めれば、あとはもうけ放題。
そりゃあ源氏の棟梁が欲しがるわなぁ🕷️
再び東北は戦に巻き込まれていくが、そこに蝦夷の血を引くある人物が現れる。
岩手県平泉
えーーーーっ😱
世界遺産、中尊寺金色堂。
アテルイが死んでから300年余り後の1124年に建てられました。
「私は俘囚の上頭を務める者だ」
この寺を建立した人物の言葉です。
藤原清衡は自らを蝦夷のリーダーと名乗ったのです。
なんか鳥肌立っちゃった(๑˃̵ᴗ˂̵)
清衡にとって義家は父の仇とも言うべき相手。
父親が残酷な殺され方しとるからね🦩
苦しみを長引かせるためにノコギリのような切れない刀で首を斬るという。
しかし清衡は源氏に従う道を選んだ。
源氏への憎しみより、その力を利用して東北の混乱を収めることを優先したんだ。
偉いね🦢
源氏と連合して敵を攻める清衡。
城に立てこもる敵に義家と清衡が行ったのは兵糧攻め。
やがて女性や子供達が降伏を願い出ます。
これで東北に平和が訪れる🌈
と思いきや、
城を出た女こどもは斬れ❗️
なんつう・・・
義家らは城から出てきた者たちを虐殺。
更に合戦で捕らえた武将の舌を抜き、木に吊るしたのです。
あーあ😓
義家は都に戻されたが、その後も豊かな東北に返り咲くことを狙っていた。
義家の介入を防ぎ、東北を守るためにはどうしたらいいのか・・・
清衡は馬を殿下に献上した。
殿下とは藤原師実。
あの藤原道長の孫で、時の最高権力者である関白です。
OMG🙀
関白は誰を陸奥守にするかの影響力を持っていた。
そこで清衡は金や馬など東北の富を師実らに贈り、義家を陸奥守にしないよう裏工作を行います。
素晴らしい
パチパチパチ👏
政治家として一流です🕴🏻
中尊寺建立の際に納められた供養願文☘️
朝廷といわず 蝦夷といわず
戦でなくなった者は数え切れない
そのすべての霊を浄土に導いてください
素晴らしすぎて泣くわ~(´༎ຶོρ༎ຶོ`)