地域別 GDPの世界シェア推移📈
紀元0年
1位 インド
2位 中国
3位 その他のアジア
4位 西ヨーロッパ
5位(というかほぼゼロ) 日本
アメリカはまだ存在していません。
1500年頃、中国がインドに追いつきトップが逆転!
だいたい17世紀頃、18世紀ですかね、
経済規模がガッと大きくなった時期です。
どんどんどんどん生産力が上がり、輸出も上がり、貿易黒字になって、清朝が豊かになった時代ではあるわけです。
清はイノベーションの必要がなかった。
西洋はイノベーションをしないといけなかった。
この辺りの対比っていうのが実は歴史のあやというか、
あやとは🐧
物の表面に現れた様々な形や模様。特に、線が斜めに交わった模様。
特に苦心した、文中の言い回し。含みのある表現や微妙なニュアンス。
表面的には見えないが、辿ると見えてくる社会や世の中の入り組んだ仕組。裏表。
どうやってヨーロッパは豊かな中国を追い抜いていくことができたのか。
イギリスがアジアを凌ぐ経済力を得ることになった発端も交易でした。
大西洋を股にかけた三角貿易です。
まずイギリスは銃や織物などを西アフリカに輸出。
積み荷が空になった船に黒人奴隷を乗せてアメリカへ。
アメリカで奴隷労働によって生産した砂糖や綿花を本国に運び、ヨーロッパで販売します。
どうしようもないゴロツキ集団やね🐤
アフリカやアメリカでの収奪を動力とするこの貿易で、イギリスは莫大な利益を手にしました。
ゴッドマザー万歳👸🏽
しかし、
この富で買い漁ったインドの綿織物が手触りとデザインで人気を博し、イギリスで大流行。
その結果、イギリス産の毛織物が売れなくなってしまっただ。
輸入を禁止するがブームは収まらず。
そこでイギリスは国内で綿織物を生産することに。
労働力の乏しいイギリスは巨額の資金を投入し、紡績機、自動織機の開発を進める。
産業革命の始まり~☃️
大量生産された綿織物は国内だけでは消費できず、新たなマーケットが必要に。
バカくさ🐌
目をつけたのが綿織物の産地インドです。
機械で編んだ安い綿織物を流通させ、インドの織物産業に大打撃を与えました。
こうしてイギリスはアジアの地を製品の輸出先にする市場化に成功。
常識のカケラもねえな🐜
人間性を失った人々、あるいはもともと持っていない民族だったとも考えられます🐞
更に貿易を司っていたイギリスの東インド会社がやがて軍事力を持つようになり、インドを統治し始めます。
イギリスはインドを植民地にしたのです。
鉄道を整備し、より効率的に原材料の綿花を輸送できるようにしました。
こうしてイギリスは資本主義経済を発展させ、世界の交易の中心へと躍り出たのです。
ああ、おぞましい🥀
機械でものを作るというのはイギリスで始まったことでして、
これがないことには今の我々の生活もあり得ないっていう形になります。
全員じゃないけどね🐁
そもそもがそれってインドの綿織物を欲しいっていうところから始まって、買ってきたところまではともかくとしてですね、
自分たちで作ろうと考えるのがこれまでのアジアの国々とは違う。
そうかなあ🤔
てゆうか一番違うのはインドに売りつけたことじゃないですか?
それって暗黒街のやり口でちょ?🐇
しかも武力で脅して植民地にしちゃうんだからね🐢
それは紀元前からやってたかもf^_^;
19世紀になってもまだやってるあたりが画期的(>_<)
みんな役割分担してますので、ない物はどっかから持ってくればいい。
自らそれを作ろうかっていうインセンティブにはなかなかいかないですね。
でも必要は発明の母というかですね、
自分たちにはない、じゃあ作っちゃおうっていう、
清王朝の前から日本はやってましたよね🦙
日本にないものは中国の真似して作っちゃおうっていう。
さすがである🦚
原料となるものを植民地から輸入してきて、それを国内の工場で加工し、更にそれを国内消費だけではなく、輸出まで行うようになってくる。
産業革命を経て発展したイギリスの資本主義経済の大きな意義だというふうに思いますね。
日本もそのやり方で発展してきたですね。
世界一の絹を作るための織機はフランスから輸入したそうなww
そのプロセスの中で好まれたのが中国のお茶です。
もともと贅沢品だったものが産業革命以来、日常品になった。
それでどんどんどんどん清朝の方に銀が入ってくる。
清は貿易大黒字。
これらの経済発展が中国の経済規模の拡大に結びついている。
イギリスが豊かになると自動的に中国も潤う仕組み。
しかし、これが逆に清の滅亡につながっていくわけだから皮肉なものですね〜(*´ω`*)
アフリカ、アメリカ、アジア、オセアニア、
安い原材料などを供給できる体制を現地で築きながら、植民地を広げることによって経済を活性化。
ヨーロッパ各国が競って取り組むこの政策を「帝国主義」といいます。
それはこれまでの世界帝国が行ってきた広域支配とは全く違いました。
⭐︎資本主義の世界経済モデル⭐︎
利潤率の高いところと低いところの分業関係、
本国自体は小さくてもいい。
植民地を広げていけばいい。
世界史上初の試み大成功🦋
こうして人類が近代と呼ぶ時代が始まったのです。
18世紀、勢力を拡大させていたイギリスが向かったのが清でした。
貿易の拡大と国交の樹立を申し入れるが、全盛期を迎えていた清はこれを拒否。
天朝は物産が豊かで満ち溢れており、外夷の物品に頼る必要などさらさらない。
それでも中国の生糸や茶、陶磁器がないと困るだろうから貿易を恵んでやる。
そこでイギリスが考えた驚くべき手口がアヘンでした。
麻薬の密輸で得た銀で、イギリスは更に経済成長。
一方清は銀の流出に加え、中毒患者の蔓延で大きな打撃を受ける。
アヘンの没収、焼却に踏み切るが、時すでに遅し。
イギリス艦隊が清に攻め込み勝利する。
悪魔の所業としか言いようがないでつね🐹
どう見ても人間のやることじゃない。
ということで鬼畜米英という思想が生まれるわけですが、それはそれで大雑把すぎる偏った見方である。
清は清で自分らが儲かる仕組みを作って発展してきたわけですよね🌴
シルクロードの時代からずーっと、世界の中心として他国を支配してきた。
要するに役割が交代しただけなのだ🍄
18世紀までは乾隆帝が威張ってましたので、まあ劇的な変化って言えば言えるわけですけれども、
時代の変化を読めなかった、斬新すぎてついていけなかったとも言えますね☘️
資本主義が来た時、清の人たちは磁場に引き寄せられるように、より儲かる方になびくというかコンタクトをとって、資本主義の方に組み込まれる。
資本主義というのは市場を広げていく運動律があるわけですけれども、その運動律の中にいろんな人たちが共存している帝国も組み込まれていく、取り込まれていくという、そういうプロセスになっていくと。
腹黒い人間、ずる賢い人間が勝つ仕組みやねんな🦏
清朝というのは非常に帝国として完成された、特に理念的な意味で完成された存在であった。
自分たちの帝国がイコール世界である、
普遍的な世界だという世界観、コスモロジーを持っていた。
自分たちの世界の外側で起こっている新しい変化、速い変化を受け止めるのは非常に難しかった。
ヨーロッパ起源の新しい概念っていっぱいあるわけですよね。
社会に関して言えば、社会という概念自体がヨーロッパ起源。
権利だとか科学だとか、
この言葉を作ったのは実は日本。
つまり、それ以前には対応する中国語がなかった。
実におもしろいですね~( ^ω^ )
自分たちの世界が世界だと思っていれば、なんか新しい考え方の体系が向こう側にあるってことに、なかなか想像力が及びにくいわけですね。
ミィの考え方なんかも日本人にはほとんど理解されませんね🐕
そうすると非常に表面的な改革はできても、社会のあり方とか考え方とか、ましてやコスモロジーまで変わるような変化というのは、なかなか起こりにくかっただろうなというふうには思います。
ミィのネタをパクって自分の意見みたいにしているゴロツキがいるんだけど、よくよく聞いてみると逆なの。
あれらは表面的な改革はできても、あり方そのものは変わらない。
いかにも新しげなことを言って民を引き寄せ、集金しているだけなのだ🐩
ギャハハ😹