国外に亡命していたポーランド政府が作成した外交文書が残っています。
諜報員たちが極秘に得た情報を元に作られました🐸
「ユダヤ人大量虐殺に関する報告書」
この文書は1942年12月、連合国に宛てて送られたものである。
第二次世界大戦が始まって以降、ポーランドのユダヤ人は3分の1にせん滅されました。
何十万という罪のない人々が大量虐殺の犠牲になっています。
ポーランド政府はドイツの犯罪行為に対する糾弾や処罰の必要性だけでなく、大量虐殺を阻止するための議論が各国により行われることを信じています。
ゾンダーコマンドのメモ
私たちは任務に就きながら状況を注視していた。
しかし時間が経っても事態は一向に動かない。
私たちは世界に向けて助けを求め続けたが、残念ながら私たちが望んだような結果にはならなかった。
なぜ彼らの声は届かなかったのか。
答えはイギリス国立公文書館にあった。
イギリス政府の内部文書が見つかったのだ。
またお前か🐻
ポーランドの亡命政府から報告書を受け取った直後の1943年1月、イギリスはアメリカに次のような懸念を密かに伝えていた。
大量虐殺の阻止に動けば、ドイツはユダヤ人を絶滅ではなく、他国に追いやる方針に転換する恐れがある。
我々がユダヤ人を積極的に受け入れることになれば、人々の不満が政府に向くことになるだろう。
ああそれな🐀
当時イギリスやアメリカではナチスの迫害から逃れてきたユダヤ人によって仕事を奪われたと感じる国民の不満が高まっていた。
宮城の老害と同じでちゅー🐁
歴史がリピート再生中♻️
コワイネー
誰もユダヤ人を連れて逃げようとはしなかった。
私たちは捨てられたのだ。
1944年夏、ゾンダーコマンドたちは最後の手段に訴えようとしていた。
ガス室破壊計画。
自分たちの命を犠牲にしてでもこの状況に終止符を打つべきだ。
ところが、運命のいたずらが起きる。
ナチスはナチスで、ある計画を企てていたのだ。
大量虐殺の証拠を隠蔽するためにゾンダーコマンドを抹殺する。
コマンドたちは内部事情を知りすぎちゃったからね🦋
死を覚悟した彼らはガス室の遺体から紙とペンを盗み、大量虐殺の一部始終を書き残し、ガス室近くの地中に埋めた。
このメモがいつの日か、日の目を見ることを願って。
私たちはこれからどこかへ連れていかれる。
殺されるのだろう。
私は強く求めたい。
これまでに書いたいくつかの文書にイニシャルを記し、瓶や箱に入れ、ガス室の近くに埋めた。
それを拾い集めてほしい。
1944年11月26日
二ヶ月後、アウシュビッツはソビエト軍によって解放されました🌹
なぜ彼らは命がけでメモを残したのか☘️
それはたぶん、大量虐殺の事実を世界に知ってほしいというよりも、
ナチスに協力した裏切者のまま終わりたくなかったんじゃないかなぁ(´-`).。oO
その中の一人は奇跡的に生還し、故郷ギリシャに戻ったが、そこにユダヤ人の居場所はなかった。
戦前はユダヤ人が多く住んでいたようだが、彼らの財産は盗まれ、家には非ユダヤが住み、店は非ユダヤのものになっていた。
現実は 夢に見たほど 甘くない
こんなんできました🐰