退院
さて退院の日がやってきた。
術後12日目であった。
実はこの日帰って早々葬式に出席する事になる。
事前には知っていたが
この事実を知った時
病室の人に話しながら人前で泣いた。
ずっと世話をしてきた曾祖父だった。
享年102歳。
葬式に出席し棺おけに横たわる
じ~ぃちゃん
母ちゃんの母が言った。
病気を持って行って下さいと
おでこに手を当ててお願いしなさいと・・
言われる通りそうしたら
母ちゃんの手にはビリビリっと
電気が走った。
これは本当です。
そして次の日の告別式後
骨を拾いお棺の釘をお守り代わりに
母ちゃんの母が貰うが
その時に灰を少しもらったようだ。
そして帰宅後母ちゃんに母はこう言った。
耳掻き程度の量でいいから
その灰を飲みなさいと。
これが正しいかどうかは分からない。
母ちゃんは言われるがままにそれを飲み
母の言った事を信じた。
きっとじ~ぃちゃんが守ってくれると思うと。
現に葬儀が母ちゃんの退院日。
葬式に出席した親戚は
母ちゃんの病気の事は誰一人知らない。
しかしみんな言っていた。
○ちゃんを待っていたんだよって。
訳あって亡くなる前は会えないでいたので
そう言われたのだろう。
悲しい別れだったが
じ~ぃちゃんの分元気になろうと思った。
生かされている事に感謝をして。
術後初検診
病理検査の結果が出る日である。
ちと緊張が走る。
6個のリンパを取ったが全てに転移なし。
11センチと全体が大きかったが
悪性度が低いらしい。
まだホルモンの型が分からないので
治療方針が立たない。
この型の陰性(-)なら抗がん剤
陽性(+)ならホルモン治療だからである。
しかし転移がなかっただけでも
ありがたいと思えた。
手術当時子供たちは夏休みに入る前だった。
少し遊んであげられるだろう。
補助療法
術後初検診から20日後
運命の日がやってきた。
ホルモンの型はプラスなのかマイナスなのか
待合室で待っている間の長い事。
もうこの日が来る前に
母ちゃんの母はかつらのパンフレットや
バンダナ等を準備していたので
母ちゃんは余計に緊張していた。
結果は
エストロゲン受容体(ER)=陽性
プロゲステロン(PgR)=陽性
要は+との事で補助療法として
ホルモン剤を服用する事になった。
期間は5年間。
抗エストロゲン剤=ノルバディックス錠
これにはタキシモフェンが10mg含量
副作用として
顔の熱感・帯下等
更年期のような症状が出る事がある。
その場合は婦人科の受診が必要である。
5年後閉経前なので
その時に薬の検討をするとの事。
こうして5年間の補助療法が始まる。