河野進の詩に導かれて
河野進の「できた」という詩に導かれた。
できた 河野 進
お早うございます
ためらわず
自分から
先に
誰にも
快く
あいさつが
できましたか いつもの事ながら
(河野進「今あなたは微笑んでいますか」聖恵授産所出版部)
あいさつは難しいわたしである。
二十歳のとき、家庭教師で行ったお宅におばあちゃんがおられた。
初対面である。教え子から「わたしのおばあちゃんです」と紹介された。
そのときわたしは、しどろもどろになって、「〇〇です。いつもお世話になっています」というような挨拶ができなかったのである。二十歳になってもろくに挨拶もできない自分だと、その後長いこと自嘲した。
己の未熟さを考えると、挨拶のことだけでもどれほど数え上げられるだろうか。人見知りの自分ですと、いつまでも言い訳はできないのに。
河野進の「できた」という詩は、けっこう胸にいたい詩である。わたしには「できなかった」ことが少なくないからである。
挨拶
朝の散歩のときだった
―おはようございます
そう声をかけて ちょっと頭をさげて
そのまますれちがったのだった
わたしより年上にみえた人
初めて会ったひと
ためらいのない 爽やかな声の
おはようございます
けれど わたしの喉(のど)は
すぐに開かなかったのだった
―オハヨウゴザイマス
くぐもった まるで
独り言のようであったのだった
●ご訪問ありがとうございます。
仕事で営業をしたこともありますが、挨拶はけっこうシンドイものでした。「自分、不器用なんで」と、有名な俳優さんみたいに開き直ることもできず、あとから悔やむことがたびたびありました。
あいさつが滑らかにできるひとは、私には立派な一芸の持ち主に映ります。