いや~
何だかんだいって4月は忙しい・・・・・・
とりあえず何か書こうと思っても、頭が回らない感じです(苦笑)
で、レヴューではなく少し前に見たテレビ番組から。
『言いにくいことをハッキリ言うTV』という爆笑問題が出てる番組に、映画監督の園子温さんが出演してこんなことを言っておられました。
「泣かせりゃいいと思うな!」
とにかく、泣かせようとする映画が多すぎると。
とりあえずお涙ちょうだいにしとけば安全パイだと。
家内と2人して頷きまくってました(笑)
ホントにそう。
映画館で予告編を見てて、邦画の場合結構な確率でそーいうヤツが流れる。
そんなにみんな泣きたいのか・・・・・?
考えてみれば、音楽の世界も同じ様なモノかもしれません。
とりあえず、感動的な感傷的なスロウチューンがリリースされることが多い様に思います。
ベタベタなバラッドには“感動の名曲”というキャプションが被せられますが、粋でスタイリッシュなグルーヴチューンに“名曲”という冠が付くことは稀です。
何よりも、音楽を評するのに歌詞の世界や作り手の想いだけが抽出されるのが嫌いなんですよ。なんで、もっとサウンドや演奏やコードやビートについての論評が溢れないのか。
雑誌でインタヴューを見ても、音のコトを聞いたり語ったりしているものは特定の聞き手や作り手に限られている気がします。
どうして、そんなに詞が作る世界が大事なんでしょう?私には解りません(苦笑)
あ、話がだいぶ逸れました。
兎にも角にも、音楽や映画や文芸や絵画といったアート・カルチャーに“泣かせよう”という意図が介在するのは、それらにとっての「緩やかな自殺行為」なのではないかと思います。
素晴らしい作品であれば、そんな傲慢な制作側の思惑とは関係なく、自然と感動を覚えるモノだと思いますから。