きみの靴の中の砂

大きな声では言えないが

 

 

 パークアベニューをゲート通りへ向かって百メートル程入った飲み屋街にバー『壷屋』はあった。
 木造平屋建てで正面にダイナーを思わせる大窓があり、そこから店の奥へ伸びるカウンターが見通せた。
 COVID-19対策なのか店の作法なのかは知らないが、猛暑のこの時期でも空調は使われることはなく、店の扉は開け放たれ、内側の網戸が一枚、『壷屋』の提灯の灯りに紅く染まっていた。

                    

 今しがた驟雨が通り過ぎた。
 濡れた路面に『壷屋』がぼんやりと蜃気楼のように浮かぶ。

 ぼくは、ある文筆家とそこで三密を避け、二十時半に会う約束をしていた。
 彼が自ら考案したカクテルを飲ませてやると連絡してきたからだ。

 時計が約束の時間を指す頃、文筆家は椰子の実を二個抱えて現れた。

「久し振りだなぁ」と愛想が良いところをみると、既にどこかで飲んで来た様子である。
 執筆は順調かと尋ねると、インドアの仕事の癖に陽に焼けた顔をこちらに向けて「まあ、そういう話は例のものを飲んでからにしようや」と、早速、馴染みらしいバーテンダーに椰子の実を手渡している。

 奥の厨房から破壊音が数回聞こえた。椰子の実に穴を開けていたようだ。

 彼の説明によれば —— ミキシンググラスにホワイトラム、椰子の実のジュース、それにグレナディンシロップを加えてステア、レモンピールをトム・コリンズのオレンジのように飾ったカクテル、というのが出来上がってきた。

「”In a Whisper”と命名されておる!」と文筆家が言う。

  ”In a Whisper”、つまり『大きな声では言えないが』は先程の質問 —— 執筆は順調か —— の答えなのか?と思うのは深読みし過ぎか...。そのワケは、彼の顔が年甲斐もなく日焼けしていて、とても執筆する時間なんかないように見えたからだった。

 

 
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