きみの靴の中の砂

8月20日





 父が亡くなったあと、母は世田谷の家を手放し、鎌倉の稲村ヶ崎を見下ろす高台に引っ越してしまった。そこは、祖父が避寒の家として建てた別荘だった。

 しばらくはなんの問題もなかったが、やがて母は、とても人恋しがるようになり、ぼくに青山のマンションを整理し、鎌倉に引っ越して一緒に住んでもらえないかと懇願した。いわゆる勤め人ではなかったぼくには、鎌倉に引っ越すのにはなんの障害もなく、むしろ、家賃が節約できることとガールフレンドの家が近くなるというふたつの利点があった。

 ぼくのガールフレンド ----- スタジオから由比ヶ浜を見渡せるコミュニティFMのDJ。その声はジングルでも聞ける。そして時折、彼女は自分の番組で、ぼく達だけにわかるキーワードや曲で、ぼくをギクリとさせる。

                               

 ところで、ぼく達が知り合ったのは、彼女が都内のFM局で制作アシスタントをしていた頃のこと。二人とも大学を出たばかりで、彼女は、AORの最新ヒット曲を短い散文詩と共に聴かせる番組を作っていた。そしてぼくは、その散文詩を書く三人の放送作家のうちのひとりだった。
 ある日、制作会議が長引いた夜半、成り行きから彼女と同じタクシーで帰ることになり、それが、ぼく達の付き合うきっかけとなった。
 その夜、タクシーの中で彼女は、ウエストコースト系のAORで何か好きな曲があるかとぼくに聞いた。ぼくは曲名を書いたメモを彼女に渡し、それは彼女の言ったとおり、次の放送で使われた。

 あれから五年、ぼくと彼女が初めて一緒に帰った日 ----- つまり『8月20日』が近づくと、彼女は今でも自分が担当する番組の冒頭で『その曲』をかけるのだった。

 今年は今日、それを聴いた。




【Larry Lee / Don't Talk】


 

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