きみの靴の中の砂

冬瓜

 

 

 夏の野菜『冬瓜』は、例年梅雨明け頃から適当に切り分けられたものがスーパーの売場に並ぶ。多少料理上手な人がいる家庭なら、今は京都文化圏じゃなくてもそれを使った料理が食卓を飾ることも増えた。しかし、その昔、東京では切り分けると売れ残るので丸ごとでなくてはなかなか売ってくれなかった。というより、東京では見かけることがめずらしかった。
 
 梅雨明けから秋口まで収穫される冬瓜 —— その呼称は、冷所に隠せば冬まで保存が利き、さもその冬に収穫されたばかりの野菜のよう、というのがその由来である。
 
                    
 
 昔、農家では田植えが終わると二番茶を摘み、田畑の草を取り、秋に収穫する野菜の種蒔き、と休む暇がなかった。もちろん、食事を楽しむ時間の余裕もなく、簡単に済ませるのが習わしで、当然、お菜は旬の野菜を焼くか蒸すか煮るか漬けるかということになる。そんな中にあって、冬瓜にはいくつかの美味しい食べ方があり、圧巻は盛夏の頃によく食べられる葛餡かけである。
 
 冒頭、『多少料理上手な人』と書いたが、冬瓜自体味わいのあるものではないので、料理の出来映えの全てが庖丁人の手腕に掛かる。伝統的な日本料理に仕立てようと目論むとその微妙な味付けに苦労する。
 
                    
 
   山寺や斎(とき)の冬瓜きざむ音
 
 これは高浜虚子の高弟、飯田蛇笏の句である。
 斎とは法要時にお寺で出す食事のことで、『きざむ』とあるから塩もみでも作ろうとしているのか...。
 
 季語からするとお盆の頃に読まれた句であろう。
 山寺を包む中秋の大気の中、庫裏から聞こえる冬瓜らしきを刻む音は、南中を迎える頃の空腹を覚え始めた腹に涼しげである。
 
 高名な俳人という以前に、芭蕉の圧倒的フリークであった蛇笏ならではの文学観に溢れた作品である。
 
                    
 
 昼食の冷や汁に入れるのだと言って、イチ子さんは、小振りの冬瓜をひとつ、自転車のカゴに入れて帰ってきたっけ。

 

 

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