伊藤整に『林で書いた詩』というのがある。これを知って、もう随分になる。
潜在意識で気に入っているのか、時折思い出しては、これをモチーフに小品を書きたくなる。
やっぱりこの事だけは言わずに行かう。
今のままのあなたを生かして
寂しければ目に浮かべてゐよう。
あなたは落葉松(からまつ)の緑の美しい故郷での
日々の生活の中に
夢見たいな私のことは
刺のやうに心から抜いて棄てるだろう。
私の言葉などは
若さの言わせた間違ひに過ぎないと極めてしまふだらう。
何時か皆人が忘れたころ私は故郷へ帰り
閑古鳥のよく聞える
落葉松の林のはづれに家を建てよう。
草薮に蔽はれて 見えなくなるやうな家を。
そして李(すもも)が白く咲き崩れる村道を歩いて
思ひ出を拾い集め
それを古風な更紗のやうにつぎ合わせて
一つの物語にしよう。
すべてが遅すぎるその時になったら私も落ちついて
きれぎれな色あせた物語を書き残さう。
とりわけ好きなのが『落葉松の林のはづれに家を建てよう』の一行。フィクションを書くとき、このフレーズはイメージの底で発光し、目差すべき到達点を常に示してくれる。