金沢から能登半島の先端まで、随分長い時間をバスに揺られていたのを覚えている。
終点から岬を歩いて回ってたどり着いたのは、辺境のランプの宿 —— だいぶ遅い午後の時間のことだった。
夕食時、食堂に集まった客達の話し声より、開け放った窓から聞こえる、目の前の日本海の波が岩に砕ける音の方が騒がしい。
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その人は、ぼくと同じく東京から来たという女子大生数人のグループの中にいた。
家も学校も吉祥寺だと告げたその人は、夜更けて、部屋のランプの芯をうっかり油壺に落としてしまったと、廊下から扉越しにぼくに助けを求めた。
手は灯油臭くなってしまったけれど、そのランプに再び火が灯るまでのわずかな間、ぼくは、その人の横顔が、招き入れた部屋の灯火に揺れるのをそれとなく何度も見ていた。
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翌朝、宿泊客達は、大雑把なバスの時刻表を気にする風もなく、それぞれに宿を立っていった。
岩場に突き出た宿の狭い庭先から、日本海の写真を撮って振り返ると、昨夜の人が縁側に腰掛けてこちらを見ていた。
重ねて昨夜の礼を言われたのを機会に、写真を一枚。
写真の送り先を聞けばよかったものを、その時、なぜか躊躇して後になって悔やんだ。
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その写真は今もぼくの手元にあって、その人のまわりだけ時間が止まっているように見える。
そこに写るきみは、あの夏の、まるで海の蜃気楼のよう。
【Buffalo Springfield - Flying on the Ground Is Wrong】