深夜にオニオンスープを飲みながら、ラングストン・ヒューズを思い出していた —— 小さくソレアードを聴きながら...。
さて、高校生の昔、ぼくら散文詩フリーク(詩文集『蒼穹』の仲間のことだ。まぁ、男たったふたりだけだったが...)が中原中也や富永太郎、そしてカール・サンドバーグなどを語るとき、必ずラングストン・ヒューズも忘れなかった —— 当時の文芸を取り巻く十代の若者達に違わず、救い難い絶望が作品に影を落とす作家にぼく達は惹かれた。
ヒューズはアメリカでは教養の一部だが、今の日本の英米文学界ではどんな扱われ方なんだろう。大学の英文科で米国黒人文学を講義する先生達は、ヒューズのことを忘れずにいるだろうか。
【Daniel Sentacruz Ensemble - Soleado】