すでに古い話だが、2007年の夏、太平洋戦争で若死にしてしまった未完成の芸術家・竹内浩三についてNHK が番組『ハイビジョン特集 シリーズ青春が終わった日 日本が見えない~戦時下の詩と夢・竹内浩三~』を制作、その放映後、線香花火のような一瞬の竹内ブームがあった。
今更何で竹内浩三なのかと、その時思った。
どうやら「竹内浩三全作品集-日本が見えない」(2002年藤原書店)、「戦死やあわれ」(2003年岩波書店)あたりを読んだNHKの制作者がやむにやまれぬ気持ちになって番組を制作した時期と、映画監督山田洋次が『母べえ』の制作発表で竹内浩三の遺した『戦死やあわれ』が物語の元になっていると発言した時期とが重なり、それで一部のマニアの注目を集めたようだ。
「竹内浩三全作品集-日本が見えない」 —— 作品集といっても二十歳前後の年齢で書き散らかしたものを集めただけのものだから芸術性には乏しいが、行間に、後の才能を強く感じさせるものがある。中原中也や富永太郎、梶井基次郎など病による早世とは違って、竹内の場合、『突撃』という強制された死だけに、その哀れさのみが募る。
*
竹内浩三 —— 1921年(大正10年)5月12日、三重県宇治山田市生まれ。1940年(昭和15年)映画監督を夢見て日本大学専門部映画科に入学。1942年大学を繰り上げ卒業し、10月三重県久居町(現在の津市)の部隊に入隊、1944年12月にフィリピンへ出兵。翌年4月9日フィリピン、バギオ北方1052高地にて戦死、享年23歳。【伊勢志摩経済新聞 2007年7月23日掲載記事より】