沖縄県国頭郡東村宮城の具志堅さんのパイン畑からは、海は見えない。
収穫された南国の果実が、農道際にいくつもの小山に積み上げられていく。
東京生まれ、東京育ちのわたしが、なぜ具志堅さんの畑で働くことになったのか...。
大学二年の夏休みに沖縄を旅した時のことだ。
たまたま宜野座村の『民宿玉城』に泊まった。そこの旦那さんは、毎年、パインの収穫時期になると、琉球大学農学部で同級だった具志堅さんの畑に収穫を手伝いに行っていたのだけれど、今年は持病の痛風の具合が悪く、手伝えないで困っていたところに ----- 『飛んで灯にいる夏の虫』 ----- 私が『玉城』に転がり込んだのだった。
勿論、作業能率は悪いのは分かりきっていたけれど、玉城のおじさんが、東京から来たお嬢さんだから、仏様になったつもりで自分の代わりにアルバイトさせてあげてくれと頼み込んだのがことの始まりだった。
私は二週間、具志堅さんの家に住み込んだ。
おじさんは、毎晩、『てぃびち』で泡盛を飲んでは、蛇皮線を弾き、家族にも私にもカチャーシーを無理強いするのだった。
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Kids Incorporated / One Fine Day
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