夏に太平洋から丹沢山塊を越えて南風が吹くと、丘陵地の保護緑地帯に滞った摂氏で二度ほど冷涼な空気を北側の山麓に押し出す。それは、まるで天然の冷房機があるかのような涼しい風だ。
さて、九月もなかばを過ぎ、都会で暑気がようやく落ち着く頃には、このあたりでは夕暮れが近付くと早くも肌寒さを感じる。それは、夏服でランチができる季節はそれ程残されていないということだ。
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家の庭には家を建てたときの廃材で作った据え置きの椅子を伴った大きなテーブルがあり、晴れた日の昼は大抵そこで過ごした。
友達でも来ない限り、ここでの食事は火を使わない至って簡単なものばかりで、例えばパンにスプレッド、ソーセージ、チーズ、他にドライ・フルーツがあれば豪華な方であった。こうして見ると自由度が比較的高いのが飲物で、ぼくは概ねアルコールを飲んだし、その後昼寝を決め込んでいるときは、瓶ごと冷やした北欧の蒸留酒すら飲んだ。
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この間、そのテーブルでイチ子さんがプチ・ラルース(日本で言えば広辞苑のようなもの)を引きながら、なにやら原書を読んでいるので、ふと思い付きで尋ねてみた。
「国により、天才の定義に違いはあるんだろうか。ラルースにはなんて書いてある?」
傍らに開いたMacBookから広辞苑にも当たってみてわかったことがあった。ラルースも広辞苑もその定義に変わりはないが、前者には、その天才の例が載っていて『ゲーテ、ナポレオン、ランボー』とあると言う。
広辞苑には記載のない天才の例を挙げるなら、日本では果たして誰が選ばれるだろうかで討論になった。
暇がしこたまつぶれ、神経は衰弱し、酔いも回った。
結論が出ないまま行き着いたのは、『そもそもラルースは、いかなる基準で、その三人に絞ったのか...』。フランスでは異論は無かったのだろうか。