ポール・ヴァレリーが『カイエ』を書きはじめたのは、日本で言えば、大学を出た翌年の歳からのこと。それは、まだサルトルですら生まれていない昔。
ヴァレリー以降に生まれたフランスの文筆家で『カイエ』の影響を受けなかった人はいないと言ってもいいほど、多くがそのスタイルを借用した著作を残している。それでいて「ヴァレリーが好きだ」と公言する者も目だっていないところを見ると、『カイエ』は好き嫌いの問題ではなく、読んでそれを真似ることが教養人として、自らの知性を育てるに必要な条件だったのかも知れない。
日本でもそういう人・そういう教授職の人は、戦争前後にフランス文学を学んだ人に散見される ------ 今ではみんな、向こう岸へ行ってしまったけれど...。
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ところで、明日は八月最後の猛暑日になる予報だが、そうなると最後にもう一度夏らしいものを食べておきたくなる。『うざく』など、ふと思い出したので、明日の夜はそれで書斎宴会をしようと企んでいる。
【The Beatles Experience - You're Going To Lose That Girl】
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