海が近い鎌倉の古くからの住宅のほとんどは、潮風やそれが運んでくる砂を避けるために海岸通りから少し距離を置き、周囲を灌木の林で囲んで建てられているのが普通であった。砂の飛散を避けるため、庭一面に芝を貼る家が多いのも特徴と言える。
戦前にお金をかけてしっかり建てられた屋敷が多く、うちのように戦後間もなく建てた家など、どちらかと言えば新しい方であった。
空調が一般的でない時代、夏の防暑と湿気対策のために家の周囲の窓や縁側を解放して風が通るように設計されているため、後にエアコンを設置しても、隙間の多い構造上、逆にその効果は薄いのが通り相場だった。
つまり、夏は扇風機と蚊帳、冬は厚着と火鉢・炬燵という、いわゆる昔の習慣と生活様式に則って建てられた和風の木造家屋であった。
***
高校最後の夏休みのある日、母が用事で出かけている時のことだ。
暑い日である —— ここ数日、蝉の鳴き声が一際賑やかになった。
茶の間で留守番をしていると昼近くになって、幼稚園から一緒で隣に住む水口イチ子が、グリーンの風船がデザインされた、いつものトートバッグを持ってやって来た。この時間のそれには、おおむね昼食の材料が入っている。
「さっき、駅前でオバサンに会ったよ。どっかへ出かけられたのね? いつものようにお台所お借りしていいですかってことわっておいたから、使うよ」と言いながら縁側から上がると、茶の間に寝転がって甲子園を観ているぼくの投げ出した足を跨いで炊事場へ行った。
テレビではこれから、青森の三沢高校の引き分け再試合が始まろうとしていた。
「お昼、まだだよね?」台所からイチ子の声が聞こえる。
「うん、でも朝が遅かったから、まだ、お腹空いてない。ひとりで食べていいよ」
しばらくして彼女は、縁側にちゃぶ台を出し、扇風機を自分の方に向けて座ると、
「暑い日のお昼は、お素麺よね!」と叫んだ。
それは、開け放たれた家から隣近所に充分届くほど大きな声であった。
【Roman Andrén - Til Another Day】