水口イチ子が、ある古書店のショーケースの前で目を凝らしている。
「その『ヨーロッパの道徳の歴史』っていう本、なんでそんなにいい値段なの?」と言う。
「とってもめずらしい本なのかしらね」と重ねて聞く。
「レッキー著、いや、書名も著者も聞いたことないなぁ」とぼく。
「しかも、書き込みや下線まで引いてあるわよ」とイチ子は更にいぶかしげだ。
日本の葉書より多少小振りな厚紙に短い解説文がタイプされている。
「ははぁ、なるほどね。わかった! その本が貴重なのは、その余白の書き込みのようだよ。『書き込み多数あり』ってタイプしてあるところの一番最後の行に書いてある...」
「えっ? 一体どういうこと?」
「重要なのは、余白に書き込みをした人が普通の人じゃないってことだよ」
「?????」
「マーク・トゥウェインだよ! マーク・トゥウェインが自筆で書き込みしてるんだよ!」
*
それは三十年の昔、ふたり、旅の途中に立ち寄った、テキサス州オースチンの街でのことであった。
【The Overtones - Why Do Fools Fool In Love】