去年の五月の稲荷祭りも例年に違わず大層な賑わいだった。
祭りから帰って来た午後、彼が食べたいと言っていた祇園藤村屋の油揚を、庭の稲荷社の横に小さな炭火を起した七輪を据え、うっすらと焼き色が付くまで私が炙る間、彼は陶製の道具で少量の大根をおろした。
多少焦げ目も付き、いい色に焼き上がった油揚は、彼の手で大きめの短冊に包丁を入れられ、わずかに水気を切った大根おろしとともに、対角一尺もあろうかという大きな角皿に比較的あっさりと盛りつけられた。
私が、清水三年坂の河内家の七味の入った小さな竹の入れ物と、小振りの片口に移した中長者町・澤井のお醤油を境春慶の小さなお盆に載せて縁側に置いたとき、彼は古井戸に吊るしておいた一升瓶をすでに引き上げていて、それをこちらにかざすと「見よ! 南都諸白(なんともろはく)春鹿だぁー』と私に向かって叫んだ。
***
その日、彼に伏見で買ってもらった『お稲荷さんのお面』は、今、私の文机の前にあって、「あの油揚を焼いた小さな宴会の仕度のように、いつまでも助け合うことが肝要」と日々、私に言って聞かせているように思えるのだった。
私達は、間もなく結婚する。
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