メリーランドにある米国国立公文書記録管理局アーカイブス II の閲覧許可が下りたのは、昨年六月初めのことだった。執筆中の大作で、ポツダム宣言受諾後、最初に日米両軍が接触した時の記録を精査する必要が生じていたのだ。
まだ誰もいない朝早い時間、体育館のような広い閲覧室で係員に示された関連資料は、小振りのコンテナ六箱に及んでいた。
214GH3と書かれたコンテナの蓋を開けた時のことだ。
最初は気に留めなかったのだが、ある文書の標題を見た数秒後、ひとつの疑問が湧いた。その文書 --- 『キ94 Ⅱ 試験飛行記録 トップ・シークレット ランクA』は、私の当初の調査目的を即座に押しのけた。
私の記憶では、キ94 Ⅱ は、昭和18年に陸軍が立川飛行機に試作発注した高々度防空戦闘機で、昭和20年7月に試作一号機が完成、発動機の調整中に終戦を迎えたはずであった。
戦後、米軍は、調査対象とした日本の陸海軍機を本土に持ち帰り、試験飛行記録を作成するとともに不要な機体については、日本国内で焼却処分していた。
私が不審に思ったのは、これまでキ94 Ⅱ が国内で処分されたという記録を見たことがなく、また、米軍が本土へ持ち帰った機体のリストにも、それが含まれていなかったことだ。いったい、キ94 Ⅱ は、どこへ消えたのか。
答えは、そのレポート --- 『キ94 Ⅱ 試験飛行記録 トップ・シークレット ランクA』にあった。
TO BE CONTINUED.
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