小千谷から(Ojiya kara)

新潟県中越大震災の、とある被災者からのメッセージ
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忘れてはいけない

2005年10月11日 11時11分31秒 | 新潟県中越大震災・地震
一年前に撮った動画を見ていたら泣けてきた。

2004年10月24日
余震が数分ごとにくるので家に帰るのをあきらめた私たちは翌日も車中泊をすることに決めた。
幸い晴れていたが、夜は冷えた。
車の中でらくらくと暖をとりたい。
ガソリンを求めて信号の消えている町を走り回った。
どこもアウト。
平成ではマンホールにつきあげられた車両。
そこらじゅうで救急車や災害支援のジープとすれちがう。
市役所はマスコミの中継車やタクシーで大混雑。
すみっこで自衛隊員(たぶん高田駐屯地)が市の職員か誰かと打ち合わせをしている。
子供が「なに~?あれ」と言っている。
はじめて自衛隊を見て珍しかったようだ。
消防署脇には各地からたくさんの消防車が集まっていた。
そして原信 ジャスコを見てがくぜんとする。
コメリ前には電線につっこんだ車両。
コメリにポリタンクを買いに行くが売り切れ。
長岡に行こうと決意。
千谷の交差点で災害支援の車両が5-6台連続で通る。
また子供に「なんであんなのが走ってるの?」と聞かれる。
飲み物を買いだめしている自転車とすれちがう。
千谷の三洋前の道がガタガタ。
瓦がふっとんでいる家。
ベイシアもガラスが割れている。
のんきに音楽を流しているラジオ。

情報が、ガソリンが、今日子供たちに飲ませるお茶が欲しかった。
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一年経った。
もうだいぶ忘れている。
忘れちゃいけない。
たくさんの人が駆けつけて助けてくれたこと。

してもらって当たり前、じゃなくて。
この恩を返さなければいけない。

人に「忘れないで」という前に
被災者である私たちが忘れてはいけないのだ。
伝えなければ伝わらないのだ。