小千谷から(Ojiya kara)

新潟県中越大震災の、とある被災者からのメッセージ
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2005年11月24日 03時02分35秒 | 新潟県中越大震災・地震
”久しぶりに、ブログを拝見しました。
ここ数ケ月は、震災のことと向き合うのがいやで、関連記事から目をそむけていました。”
というメールを数日前に頂きました。
震災で知り合った市内の方からです。

ブログっていいなぁ~と思いました。
見たくないときは見なければいい。
そしてまた元気になって見たいと思ったときはこうしてまとめて読むことができる。

メールの内容にも感激しました。
隅々まで読んでくださったことがわかる内容でした。
震災と真っ向から向き合ったりちょっと距離を置いたりしながら懸命に闘っていらっしゃる様子がひしひしと伝わってきました。
なによりも素直な気持ちをさらけ出してメールをくださったことがうれしかったです。
勇気づけられました。

心が時間の流れについていかないことへのもどかしさ、怒りに似た悔しさや絶望、わけもわからない苛立ちと闘いながらも小さな喜びをまわりに広げようとする温かさ、人と人との絆を大切にしようとする想いが短い文面の中だけで感じられました。

「頑張ろうね、それぞれの立場で。」
これがメールの結びの言葉でした。

いやなことも嬉しかったこともなんもかんも分け合えたらいいですね。
メールありがとうございました。
落ち着いたらゆっくりお茶でもしたいですね。

山は後回し?

2005年11月24日 00時30分32秒 | 新潟県中越大震災・地震





本町から船岡に向かって117号線を走る時、センターにある赤い三角錐に当たらないように注意してのそのそ走ります。
片側ずつ舗装工事が行われるので、期間によっては右車線を通ったり左車線を通ったり、ちょっと注意が必要でした。
普段はそんな感じで慌しく車で通過するだけだけど、今日はちょっと停車して写真を撮ってきました。
こういう写真載せるとブログ自体が明るくなるからいいよね。


おととい21日には本町の交差点にある銀行とこの道路沿いにある船岡の旅館が再オープン。
降雪前までにと急ピッチで工事がすすめられたのでしょう。
うちの近所の工場の解体撤去工事も終わりました。
無残だった景色はなくなりすっきりときれいな更地になり久々に静かな町に戻りました。
ここは今後どうなるんだろうな。

この道路、震災から一年経った今でも一方通行のままです。
不自由な生活は継続してふた冬めに突入するけど、ここが開通したときはほんとにうれしいんだろうなぁ~。
それにしてもいつになったら開通するんだろう。
看板には「1600メートル間1月14日まで法面工事」とあったけど。
どか雪が降る1月半ばすぎには開通するんだろうか。
バスはいつ通れるようになるんだろう。
思いっきり町の中心部がまだ復旧工事やってるなんて、こうして言わないと市外の人にはわかってもらえないんだろうな。

子供たちもこの一年間毎日早起きして学校に通ってます。
通学路が元通りになるのはおそらく来春以降だろうからまたこの冬も雪の中がんばって通わなくてはなりません。
私たちもたかのスーパーや郵便局や銀行が遠くなったりして、いつも目的地に行くのにどっちから迂回しようか頭を悩ませます。

でもね、私たちはまだいいんです。迂回すればすむことだから。

塩谷の住民の方は熱望しています。
浦柄から入るほうの道路を早く直してもらえないものなのだろうか、と。
避難勧告が続いていても村は守らなければならない。
仮設住宅で暮らしながら、折をみて村に帰り、村を守っている方々がいる。
雪おろしに来るのも川口まわりでは車が入るのも容易ではありません。

道路の災害復旧工事ってどういう順番ですすめていくのでしょう。
町の中心部や山のふもとは重機が入りやすく、そこから順々にということなのか、それとも業者がそれぞれ入札するから優先順位など全く関係ないのか。
自分が利用する生活道路を早く直して欲しいという気持ちはみんな一緒です。
もちろんここの道路も早く直してほしい。
でもひと冬めをつらい思いで越した山の方がふた冬めを迎えるその不安といったらいいようもないものだと思います。
雪が降ったら大変なことになる、いちばん困窮している山奥の方からこそ工事をすすめていかなければならないのでは?と あの塩谷のトンネル前の崩落した道路と土砂崩れ現場を見て思うのでした。