福助の部屋

どうでしょうCUEスワローズSHINee映画うたとの毎日etc。大好きなことゆるゆる綴ります。

ミスタースワローズへ感謝を込めて。

2007-10-15 00:46:09 | 今日のスワローズ
古田さんの引退試合から1週間。
何だかものすごく昔のことのような気さえします…
9/19の引退・退団会見の古田さんの涙を見たときから
言いようのないもやもやした気持ちが続いていたんですが、
10/7の引退試合やその後のテレビ出演などで、“悔いはない”と言う
古田さんの笑顔を見るたび少しずつ気持ちの整理がついてきました
シーズンも終了したので、改めて古田さんへの感謝の気持ちを。


私がスワローズファンになったのは古田さんが入って2年目の1991年
その年、最終戦まで落合選手と首位打者を争っていて、
最後の最後に古田さんが首位打者になりました
それまで古田さんのことは全然知らなかったんですが、
その時に“この人、すごい…”と思って以来、
古田さんのいるスワローズのファンになりました

それから17年、古田さんとスワローズには本当にいろんな思い出をもらいました
5度のリーグ優勝に4度の日本一。
どの優勝も嬉しかったですけど、やっぱり一番思い出深いのは2001年。
優勝争いの真っ只中で古田さんが靭帯損傷の大怪我をして欠場、
復帰してからも膝が曲げられないのでふくらはぎの所に特製のパッドを
着けて必死にチームを引っ張っていた姿は、痛々しくもやっぱり頼もしかった
古田さんの存在の大きさを改めて痛感した年でもありました。
本当に苦しんでやっと優勝できたと言う感じで、私も優勝が決まるまでの
1ヶ月くらい、大好きな甘いものを絶って優勝祈願の願掛けをしたのを思い出します
若松監督の、『ファンの皆様、本当に…おめでとうございます』発言もありましたし(笑)
それに1992年に荒木投手が復活のマウンドに立った時。
荒木投手登板の後古田さんが見事ホームランを打って、1塁側のスワローズベンチに
向けて見せたガッツポーズが、私の中ではとても鮮烈な思い出で、
今も昨日のことのように鮮明に思い出すことが出来るくらいです

でも古田さんの思い出なんてとても全部書き切れるものじゃないですよね
オールスターでの3連続盗塁阻止やサイクルヒット、4打席連続ホームランに2000本安打、
兼任監督就任に『代打、オレ』、そして選手会長として苦渋のストライキ決断…
野球の思い出はもちろんたくさんありますけど、
個人的には、優勝旅行でオーストラリアに行ったときのことや、
“みなさんのおかげです”で卓球したり、テレビ番組でTUBEを熱唱する姿なんてのも
楽しい思い出です(笑)

それにやっぱり古田さんを中心にしたアットホームな雰囲気の
スワローズが好きだったんですよね
今年はそれが“仲良し野球”なんて揶揄されたり、正直私も疑問を持った試合が
何試合かあったことは否定出来ませんけど、でもやっぱりその仲の良さがスワローズの
最大の魅力だと思いますし
古田さんが監督を兼任するようになってからは、“監督がいると選手が気を遣うだろうから”と
選手が使うマッサージ室とかには行かなかったりしたそうで、みんなでワイワイするのが
好きな古田さんにしたら少し寂しい気もしたんじゃないかなぁと思いますけど、
選手想いの古田さんらしい心遣いで、そう言う古田さんの気持ちは選手のみんなに
きっと届いてるはず
だから、これからのスワローズにも古田さんの野球やファンに対する考え方とか熱意は
必ず受け継がれていくと思うし、そんなスワローズを古田さんが戻って来るまで
しっかり見守って行こうと思います

古田さんに出会って、野球の楽しさを教えてもらいました。
古田さんに出会ってスワローズを好きになって、
毎日の試合の勝敗に一喜一憂して、
勝った日は飛び上がりたいほどの喜びと、負けた日は眠れなくなるほどの悔しさを
教えてもらいました。
本当に18年間お疲れ様でした!素晴らしい時間をありがとうございました!

私の大好きなミスタースワローズ・古田敦也へ
17年間の愛と感謝の気持ちを込めて

また会いましょう!!





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