『「大先生」を読む。』の連載開始を皮切りに、漫画界にカムバックを果たした赤塚は、読み切り、連載を徐々に増やしながら、再ブレイクに向け、快調に滑り出してゆく。
ここで、『大先生』のスタートと前後して描かれた作品で、個人的に80年代の赤塚作品の中で、最高傑作の太鼓判を押したいタイトルにも、ページを割き触れておきたい。
「チャルメラアクション」(「増刊漫画アクション」86年10月24日号)に掲載された『ラーメン大脱走』という読み切り短編がそれで、当時、右肩上がりの伸びを見せていたラーメン需要に呼応し、一〇人余りの漫画家が各々ラーメンをモチーフに競作して綴った、謂わば企画物だ。
巨大な刑務所の敷地内、そこに、監視塔から放たれる銃弾を巧みに避けながら、脱獄を試みようとする一人の男の影があった。
男は、囚人番号の五十号の受刑者。しかし、暫くすると、脱獄した筈の彼が、再び刑務所へと舞い戻ってくる。
実は、この五十号、異常なまでのラーメンマニアである所長の拝命を受け、秘密裡に究極ともいうべき五ツ星のラーメンを探すべく、夜な夜な、刑務所を脱獄し、シャバをさ迷い歩いていたのである。
所長は、五十号のことを、大好きなラーメンに準え、五十番と呼び、所内での自由行動を容認していた。
だが、ある夜、いつものように五十番が脱走した際、監視塔から放たれた砲弾に、初めて足をやられてしまう。
重症を負い、這々の状態で、五ツ星のラーメンを探し続ける五十番。しかし、五十番が自らの舌で味を確認し、自信を持って勧めるラーメンに、所長はなかなか満足をしてくれなかった。
五十番は、生命の危険に晒されながらも、所長の為に、最高のラーメンを探し続けた困憊から、釈放を直談判する。
だが、所長からは、終身刑を言い渡され、これからも自分の為に、究極のラーメンを探してくるよう命じられる。
所長は、人間一人の生命が懸かったこのラーメン探しに、スリルと興奮を感じていたのだ。
その夜も、所長の為、究極の五ツ星ラーメンを求め、さ迷い歩く五十番だったが、なかなか納得のゆく味の店が見付からない。
そんな時、たまたま入った汚いラーメン屋で、五段階評価を越えた八ツ星のラーメンに遭遇する。
所長のせいで、すっかりラーメンに毒されてしまった五十番は、そのあまりの美味さに雷に打たれたかのような衝撃を受ける。
しかし、今はシャバだ。
またラーメン探しのため、脱走を繰り返したら、今度こそ生命を落としてしまう危険だって起こりかねない。
このままトンズラして逃げるか、刑務所に戻り、署長にこのラーメンの味を伝えるか……。
途方もない葛藤に晒される中、五十番の胸中で激しい感情が弾けた。
最後の大ゴマで、刑務所の門扉を激しく叩く五十番。その時、所長に向かってこう叫ぶ。
「おーい‼門をあけろーっ‼」「所長にラーメンのことで話があるーっ‼」
モチーフであるラーメンとは到底結び着かない、荒唐無稽なシチュエーションだけではなく、ストーリー面においても、理論的なドラマトゥルギーから幾分背理した印象を否めない異色の一作ではあるが、登場人物の心の機微やその葛藤が、抜群のリアリティーを持って掘り出されており、こうした確かな人物描写こそが、この作品の価値を決定的に引き上げてゆくエレメントになり得ていると言っても、差し支えないだろう。
また、本来ニヒリズムに埋没しがちな展開から敢えてスライドさせた、その粋なラストシーンは、鳥肌が立つほどにインプレッシブで、読む人の心情にシンパシーとカタルシスを投げ掛けること間違いない、この上ないヒロイズムに包まれている。
尚、この『ラーメン大脱走』が掲載された「チャルメラアクション」には、同じ大御所枠で、石ノ森章太郎やモンキーパンチといった作家も作品を寄稿しているが、偏向のない視点で他作品と見比べてみても、本作が最もドラマティックな愉悦を湛えており、80年代以降の赤塚漫画は駄作ばかりだと、皮相的な見解を示す向きには、是非一読して欲しい掌編漫画だ。
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