文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

最後の連載漫画『酒仙人ダヨーン』 最愛の友へのラブレター

2021-12-22 00:25:00 | 第8章

年明けの99年元旦、突如として赤塚漫画の新作連載が「ビッグコミックスぺリオール」誌上にてスタートする。

『酒仙人ダヨーン』(「ビッグコミックスペリオール」1号~2号)なるタイトルの作品で、イヤミによく似た風貌の老仙人が、若者に酒道の奥義を伝授するとともに、崇高な人生哲学も教え説いて行くという、その深淵なテーマからも、赤塚自身、長期連載を意識していたことがよく分かる。

扉ページのクレジットには、赤塚の名前以外に、作画協力・あだち勉とあるが、あだちの担当箇所は清書とペン入れのみに留まり、下絵は全て赤塚によって描かれたのだという。

この時代の赤塚にしてみたら、それだけでも本作品に並々ならぬ意気込みを懸けていたのだということが伝わってくる。

赤塚が記者会見の時、やりたい仕事があると語っていたが、その仕事とは、まさにこの『酒仙人ダヨーン』だったのだろう。

『酒仙人ダヨーン』を執筆するモチベーションを刺激したのは、ある人物との出会いだった。

その人物の名は、東隆明。

かつては、俳優、演出家、脚本家、劇団主宰、プロダクション経営等、芸能畑を中心に活躍していたが、現在は、〝自然会〟なるコミュニティー・ネットワークを発足させ、大自然の摂理による究極の愛と平和を伝導している、まさに仙人然としたカリスマ的人物である。

元内閣総理大臣・近衛文麿の実子にして、元大日本帝国陸軍中尉であった近衛文隆の所謂庶子という、近衛家の血を引く特異な生い立ちの持ち主としても有名で、政財界においても彼の信奉者は多い。

そうした身分の高い立場にある人間でありながらも、〝巷の酔っ払い仙人〟と自らを名乗り、別け隔てなく人と接するざっくばらんな性格の持ち主としても知られ、老若男女、多くの人から愛される好人物でもあった。

したがって、赤塚が東の人間的魅力に惹かれ、深い親交を持つようになったことも、充分理解出来る。

東隆明の証言「〝竜の湯〟という下落合にある温泉施設で、ワシが教え子相手にセミナーを開いとったら、酔っ払ったあのオッサン(名和註・赤塚)がいきなり乱入して来て、「このインチキ教祖が!」とか抜かしやがったんや(笑)。で、ワシも「なら、お前さんは三流漫画家かい?」って突っ込んだら、「ふざけるな! 俺は元超一流の今は五流だ」とか言ってなぁ。こりゃ、噂通りのおもろいオッサンやってことで、すぐ意気投合して、以来飲み友達になったんや」

実際、双方ともインチキ教祖、三流漫画家といった概念から対極に位置する、ステージの高い存在であるが、初対面にも拘わらず、そうしたドギツイことを言い合い、寛容し合えるほど、お互いを近しい間柄に感じていたのだろう。

赤塚は、ある時酒を飲みながら、東にこう語ったという。

「あんたをモデルにした漫画を描きたい」

この頃既に、漫画家として現役を引退していたに等しく、またガン宣告を受けながらも、四六時中酒を手離さず、酩酊している赤塚が、再び連載を起こすなんて、東にしたら、それ自体が全く現実感のない絵空事のように思えたそうだ。

連載の構想も酔った勢いで出た戯れ言の一つだと捉え、その後も、特に気に留めることもなかったというが、作品は早急に描かれ、東を驚せた。

もはや漫画を描く意欲も失われ、酒浸りになったと思われた赤塚のクリエーター魂に再び火を付けたのが、東だった。

赤塚にとって東は、生前最後に愛した人間であり、この『酒仙人ダヨーン』も、ファンや一般の読者ではなく、東だけに読んでもらいたい一心で立ち上げた連載だったのだろう。    

しかし、再び体調が悪化し、第二話をもってこの連載は中断する。

続きを読みたかったという所感を抱いたのは、ファンだけではなく、東もまた同じだったに違いない。    


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