文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

赤塚不二夫レア作品レビュー その② 『人気スターまんが 九ちゃん』(「少女ブック」62年5月号別冊付録)

2024-12-09 14:56:21 | 論考

『人気スターまんが 九ちゃん』(「少女ブック」62年5月号別冊付録)

1960年代中頃から、その時々の人気タレントの半生をコミカライズする試みが少女漫画誌を中心に頻出し、グループ・サウンズから少女アイドル、新御三家をはじめとする男性アイドル等の半生を綴ったタレント漫画なるジャンルが隆盛を極めるが、本作『九ちゃん』は、その嚆矢の一つとなった作品であると捉えて然るべきタイトルと言えるだろう。

本来ならば、このようなタレント漫画は、デビュー間もない新人が受け持つのがある種の不文律ではあるが、時同じくして『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』と大ヒット連載を立て続けにスタートさせ、押しも押されぬ人気漫画家となった赤塚にとって、『九ちゃん』は、最初で最後に手掛けたタレント漫画となった。

その後、赤塚は自身の肝入りで芸能界デビューを果たしたタモリとの邂逅と、スターダムにのし上がって行くその道程をダイジェストに綴った『ボクとタモリ』なる読切を「月刊少年ジャンプ」(81年8月号)誌上にて発表しているが、これはあくまでタモリの世話人、師匠という立場から、タモリとの芸能二人三脚を反芻した内容で、純然たるタレント漫画としてはカテゴライズし難い。

『九ちゃん』は、坂本九の誕生から、甘えん坊だった幼少時代、茨城県笠間市への疎開時代のエピソード、戦後、再び川崎へと舞い戻り、初恋、別離による失恋、歌手を目指して、井上ひろしとドリフターズのバンドボーイとなって奮闘する姿を過不足なく振り返り、「第3回日劇ウエスタン・カーニバル」に初出場し、初めて大勢のオーディエンスから拍手喝采を浴びたところで、ドラマの山場を迎えるというのが、その主たるあらましだ。

因みに、疎開先のプロットでは、喧嘩相手として、後に『おそ松くん』に登場するチビ太の原型であり、この時、『ナマちゃん』で乾物屋の小倅として活躍していたカン太郎がゲスト出演しており、赤塚特有のスター・システムの一端を垣間見ることが出来よう。

その後、マナセ・プロ所属のタレントとなり、ジェリー藤尾、森山加代子、渡辺とも子といったスター達とも合流。彼らと親交を深める中、ダニー飯田とパラダイス・キングの一員としてヴォーカルを務めるようになった坂本は、アラビアより伝わる中東の民謡「悲しき六十才」(訳詞・青島幸男)を大ヒットさせ、一躍人気歌手の仲間入りを果たす。

そして、1961年10月にリリースした、永六輔作詞、中村八大作曲による「上を向いて歩こう」が記録的な特大ヒット。トータルで八〇万枚を売り上げ、後に、水の江瀧子企画、舛田利雄ディレクションによって日活から映画化され、主演を坂本が務めた。

九ちゃん人気は留まることを知らず、劇場版「上を向いて歩こう」もスマッシュヒット。そんな人気真っ只中の最中に描かれたのが、この『九ちゃん』なのだ。

赤塚の描く、坂本九は、ニキビ面に団子っ鼻、大きな頭と、決して美化することなく、本来の坂本の特徴をリアルに捉えつつも、そこにチャーミングさを付与させており、九ちゃんファンの少女達も、そのキャラクターメイクに嫌悪感を抱くことはなかったに違いない

また、エンディングにおいて、女学生、腕白小僧、老紳士、下水工事業者、廃品回収、蕎麦屋の出前持ち、警察官、泥棒と種々雑多な人々が集い、「上を向いて歩こう」を歌い踊るシーンは、ミュージカル映画さながらの愉悦と高揚感を示しており、ただただ圧巻の一言だ。

但し、後に「SUKIYAKI」と改題され、海外でもリリースされた「上を向いて歩こう」が、アメリカ合衆国の「ビルボード」誌、「キャッシュボックス」誌において、それぞれベスト・ワンを獲得したほか、全英チャートにおいても、第6位を記録しするなど、世界的なヒットとなるのが、1963年6月以降のことなので、「世界の九ちゃん」として、国際的な歌手に成長するに至るまでの展開については、残念ながら、ここでは描かれていない。

「上を向いて歩こう」は、東京大手町のサンケイホールにて開催された「第3回中村八大リサイタル」で、参加歌手の坂本九のヴォーカルにより、初披露されたというのが定説だが、筆者には、こうした史実を覆すには十分な証言を得た過去があり、この場にて紹介したい。

拙ブログをご覧頂いている奇特なネットユーザー諸氏は、当然ながら懐かしの漫画ファンを兼ねている方が殆どであろうことから、 「上を向いて歩こう」の作曲者の中村八大の実妹・旺子が、トキワ荘作家達の兄貴分的存在であり、新漫画党の党主であった寺田ヒロオと婚姻関係にあった事実をご存知の向きは少なくないと思われる

そんな中村八大であるが、1957年6月に寺田夫妻の結婚披露宴が催された際、最愛の妹の晴舞台ということもあり、この時、ハイテンションな状態で、ピアノ演奏により披露したのが、「上を向いて歩こう」であったと、かつてトキワの住民であり、新漫画党のメンバーであった森安なおやが、1998年の秋口に、筆者にこう語ってくれたのが忘れられない。

つまりは、中村八大は「上を向いて歩こう」を世に発表する以前、それも、かなりの古い段階において、既に自作曲としてストックしていたという説だ。

後に、「上を向いて歩こう」が街中で流れるようになった際、何処かで聴いたメロディだと、ハッと感じたというのが、森安の弁である。

森安は、赤塚不二夫曰く「集中力がなく、しょっちゅうフラフラしていた」とのことからもわかるように、気持ちのムラが半端ではなく、依頼された仕事に穴を開けては、編集者や漫画家仲間に対する不義理を繰り返し、トキワ荘の家賃に関しても、相当な額を滞納していたという。

そんな森安に対し、寺田は新漫画党からの除名処分と絶縁を叩き付けたというが、元来親分肌で面倒見の良い寺田は、森安を改めて寛恕し、披露宴に招待したそうな。

その時の忘れ得ぬエピソードとして、森安が語ったのが、件の「上を向いて歩こう」の初披露についてである。

同じく新漫画党のメンバーであり、披露宴に臨席した藤子不二雄Aは、自伝的漫画『愛…しりそめし頃に…』の本編中、優雅な指さばきで、リヒャルト・ワグナーの「結婚行進曲」とともに「上を向いて歩こう」をピアノ演奏するシーンを描いており、森安による前述の発言は、フィクショナルな要素も多分に含んだ同シリーズにおける、数少ないアクチュアルな側面を補強する貴重な証言として、個人的には重要視している。

さて、その後の坂本九であるが、「見上げてごらん夜の星を」「明日があるさ」「幸せなら手を叩こう」「レットキス」「涙くんさよなら」等、更なるヒットを重ね、歌手としてのみならず、映画、ドラマ、舞台、司会業と多岐に渡り大活躍。昭和後期をシンボライズするスターの一人となった。

1981年には、一時的とはいえ、既に中堅どころのお笑いタレントとして盤石を置くようになったタモリとのコンビで、日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」のMCを務めたこともあった。

だが、そうした八面六臂の活躍も虚しく、1985年8月12日、坂本は、日航機123便墜落事故に巻き込まれ、四三歳という若さで帰らぬ人となる。

日航機123便墜落事故後の顛末ついては、アメリカの航空機メーカー・ボーイング社の圧力隔壁における修理不良や設計上の欠陥を表向きの事情としながらも、実際は、自衛隊による無人標的機を狙ったミサイルの誤射が原因であり、その結果、事故直後にG5で発表されたプラザ合意にシンボライズされる、日本側の対米服従路線の契機となったなど、近年、ネットや活字メディアにおいて、まことしやか囁かれているが、赤塚作品とは全く関係のない情報であるため、ここでは一切掘り下げない。

同月の18日、坂本の密葬が東京都目黒区柿の木坂の自宅にて行われ、同年9月9日、港区柴の増上寺にて執り行われたが、生前の坂本の人気、実力を鑑みた際、平成期に入っても、活躍を示していたであろうことは間違いなかっただけに、多くのファンや関係者がその早過ぎる逝去を惜しんだ。

 


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2 コメント

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Unknown (MT)
2024-12-10 20:53:30
赤塚先生がこんな漫画を描いていたとは驚きました。

人気芸能人の半生を描いた漫画というと、1970年代後期に「月刊少年チャンピオン」で、やまと虹一先生や、ダイナミックプロの岡崎優先生や桜多吾作先生が手掛けた「スタードキュメント」ってのがあります。概ね女性アイドルが多かったですが、桜多先生時代は男性芸能人やコメディアン(ずうとるび・西川きよしなど)が描かれました。しかし赤塚先生が、それと全く同じ作品を!!

確かにこの時期は、「上を向いて歩こう」がビッグヒットを飛ばし、一躍時の人となってました。「上を向いて」は同時期に映画にもなるスゴさです。

こういう珍しい赤塚漫画を紹介して嬉しいです。これからも色々紹介して下さい。
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Unknown (douteinawa)
2024-12-15 22:13:51
M・Tさん

コメントありがとうございます!

この作品は色んな意味でレアだと思います。

本誌ではなく、別冊付録掲載というだけで、なかなか市場に出回らなかったりしますからね😅

近々、というか、今晩か明朝辺りにまた新しい記事をアップ致しますので、お手隙の際にご覧頂けましたら幸いです。

タレント漫画といえば、1981年にNHKで放映された「我が青春のトキワ荘」で、赤塚賞を受賞した宇土まんぷ青年が、掲載誌は失念しましたが、「シャネルズ物語」を描いていて、ビックリした記憶があります😅
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