文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

赤塚不二夫レア作品レビュー その④ 『ギャハハ三銃士』(「週刊少年サンデー」66年1月5日増刊号)

2024-12-23 22:19:22 | 論考

『ギャハハ三銃士』(「週刊少年サンデー」66年1月5日増刊号

赤塚不二夫(『おそ松くん』)、藤子不二雄(『オバケのQ太郎』)、つのだじろう(『ブラック団』)による合同傑作大長編。

これら三作品が掲載されたメインストリームが同じ「週刊少年サンデー」であったこと。また、当時、赤塚のフジオ・プロ、藤子不二雄率いる藤子スタジオ、つのだじろう主宰のつのだプロが、それぞれ西新宿にあった市川ビル三階に軒を構えていたことなどが重なり、このような企画が立ち上がったものと思われる。

ストーリーの簡単なあらましを説明すれば、下記の通りである。

中国本土を思わせる某国の宰相が、パーである王様のおつむを冴えたものにすべく、隣国、イヤミ国より伝わる「おつむのさえるクスリ」を奪うことを決意する。

多額の報酬を用意した宰相は、全国津々浦々より精鋭達を選出。その中で選ばれたのが、チビ太扮する孫悟空、オバQ演じる猪八戒、三蔵法師役のデカパン、沙悟浄役で助演するタロー(『ブラック団』)の四名であった。

早速、彼らは、イヤミ国への旅路へと向かうが、彼らの存在は、すぐさまイヤミ国に知れ渡り、『おそ松』『オバQ』『ブラック団』の名バイプレーヤー達が、様々な刺客に扮し、悪役俳優宜しくその道中にて、チビ太ら一行に襲い掛かる。

彼らの運命や如何に……?

そして、彼らは、「おつむのさえるクスリ」をイヤミ国より持ち出し、無事に宰相と王様が待つお城へと帰還することは出来るのか…….?

合同傑作大長編という惹句も伊達ではなく、敵キャラも、総大将のイヤミを筆頭に、イヤミ国で薬を発明する博士役にダヨーンのおじさん、守備隊第一要塞の兵隊役に六つ子、第二要塞隊長役に『ブラック団』のカポネ、第三要塞隊長役に小池さん、小池さんをサポートする参謀役にハカセと、豪華な面々が顔を揃えており、異色なところでは、大原正太が風の神を演じたほか、その薬に関係のある謎の仙人役にドロンパが扮している。

タイトルのヘッジを越えた、意表を突くキャスティングだけでも、掛け値なしの見応えがあり、それぞれの単独作品では得られない躍動を越えたグルーヴ感がプロットの至る所において炸裂しているのも、こうした大作ならではの醍醐味だ。

『ギャハハ三銃士』というタイトルから、フランスの作家・アレキサンド・デュマ・ぺールの冒険活劇の世界観をベースにしていると、イメージされがちだが、その実、明王朝時代後期(1500年代中頃)に名を成した中国の文人、呉承恩(諸説ある)による「西遊記」をモチーフとしている点は、明々白々で、何故、『ギャハハ三銃士』なるタイトルを付けられたのか、未だもって不明である。

『ギャハハ三銃士』の作者の一人であるつのだじろうは、同作が収録された『藤子・F・不二雄大全集』の『オバケのQ太郎』(第4巻)の巻末で、「つのだ、赤塚、藤本、安孫子の4人で、下の喫茶店(名和註・市川ビル1階にあった「シャトレ」)で大まかなアウトラインぐらいは打ち合わせしたと思うんだけど。原稿は、手分けして作業をするために上下で切り離して一斉に回したりもした。」といった談話を発表していたが、つのだとしても、如何せん古い記憶であるため、この程度のコメントを寄せるくらいに留めている。

しかしながら、『ギャハハ三銃士』という作品そのものに対しては、決してネガティブなイメージは抱いてはおらず、かつて藤子不二雄Aがスタジオ・ゼロ時代のことを「お祭り騒ぎのような雰囲気で漫画を描くことをエンジョイしていた」と語っていたように、つのだもまた、「みんなの楽しい気分の結晶みたいな作品」との述懐により締め括っている。


さて、『ギャハハ三銃士』が発表されてから、20年余り経った1988年の年明け、漫画界を震撼させる衝撃的な出来事が発生する

言うまでなく、藤子不二雄のコンビ解消だ。

その後、藤子不二雄は、藤本弘が藤子不二雄F(後に、藤子・F・不二雄)として、安孫子素雄が藤子不二雄Aとして、それぞれ単独名義により活動するようになったことは先刻承知の通りだが、『オバケのQ太郎』に関しては、代表的な藤子作品としては、最後の合作名義であり、『ドラえもん』『パーマン』がF作品、『忍者ハットリくん』『怪物くん』がA作品というように、両藤子内で名義分けしなかった。

その理由として、1964年の連載初期の段階において、藤子、安孫子ともにネームを切っていたこと、メインキャラクターも藤本、安孫子の混合によって描かれたことなどが理由として挙げられるが、『オバQ』については、スタジオ・ゼロメンバーの協力も大きく、一部のキャラクターを石ノ森章太郎やつのだじろうも協力していた。

赤塚もまた、連載開始からほんの暫くの間、背景を手伝っていたとの話だが、それから間もなく、当時、赤塚のアシスタントになったばかりだった北見けんいちが担当するようになる。

このように、名義分けするとなると、権利の複雑化が余儀なくされるようになることも、『オバQ』絶版の理由として挙げられよう。

だが、理由はそれだけではなかったというのが、有識者による見解で、この時、絵本「ちびくろサンボ」の絶版やカルピスマークの使用禁止など、私設団体としては怪気炎を上げていた「黒人差別をなくす会」から、『オバQ』の一エピソードである「国際オバケ連合」に、アフリカ人によるカニバリズムを想起させる描写があるとして、同じく藤子Fの代表作である『ジャングル黒べえ』とともに、回収、もしくは絶版を、版元である小学館、中央公論社に求められていたというのが、最大の事情だったのではないだろうか……。

事実、この抗議があった1990年、小学館、中央公論社ともに、当該エピソードを収録した三冊のコミックスを差し替え、更には、絶版という措置を取っている。

1990年前後と言えば、差別表現を伴う言葉狩り等、各メディアが人権問題に繋がる不適切な表現に、過剰とも思えるほど神経を尖らせるようになった時期である。

従って、そこに意図的な差別意識はなかったとしても、『オバQ』そのものが、まだ人権意識が希薄だった時代に描かれた副産物であるという概念から、それに付随する抗議を想定し、タイトルそのものを自主規制という形により、小学館、中央公論社が封印したと考えるのが妥当であろう。

実際、90年代半ば以降、往年の名作漫画を復刻させ、各版元がラインナップを充実させてゆく漫画文庫ブームが到来するが、他の藤子作品が多数文庫化される中においても、『オバケのQ太郎』に関しては、一切刊行されることはなかった。

その後、長い歳月を経た2009年、『オバQ』は、小学館から『藤子・F・不二雄大全集』(第一期)が蔵書化された際、その目玉の一つとして刊行されるが、何故、二〇年もの間、絶版状態にあった『オバQ』が復刻されるに至ったのか、公の場において、未だ明確なエクスキューズはない。

従って、憶測が憶測を呼び、また世間一般における赤塚への並々ならぬ憎悪とその俗物的なイメージから、連載開始のごくごく初期に背景を手伝っていたと語る赤塚不二夫が、『オバケのQ太郎』の著作権は自分にもあると頑なに主張しているため、封印作品になったと妄想する者も多く、『オバQ』の復刻時期が、赤塚の逝去から一年も経っていないというタイミングから、小学館サイドが赤塚の死を待って、刊行に踏み切ったと、一時期ネット等で語られていたこともあった。

この妄言もまた、赤塚ヘイトを標榜する連中の負け犬の遠吠えに過ぎず、そうした事実は、赤塚は勿論、その他関係者の口から一切語られていない。

そもそも、赤塚本来の性格からして、もし仮に、赤塚自身、『オバQ』の登場人物の一部を描いていたり、何本かのエピソードのネームを担当していたとしても、赤塚が版元の小学館や藤子プロダクション、藤子スタジオに『オバQ』の権利を主張するなんて、到底考えられない。

ならば、連載開始から一年余り、その助走をアシストすべく、赤塚自ら、ネームから当たりまで取り仕切っていたとされる古谷三敏の『ダメおやじ』については、どう説明を付けるのだろうか……。

所詮は、低能アンチ特有の理屈にならない屁理屈から、『オバQ』と『ダメおやじ』では、ヒットの度合いが違うから、『ダメおやじ』に関しては、権利を主張するには及ばないタイトルだったという、愚にも付かない見解を不細工なドヤ顔で示すのが関の山であろう

閑話休題。ホームグラウンドである「少年サンデー」において、ある意味『オバQ』&『おそ松』人気を象徴するコラボ企画であった『ギャハハ三銃士』であるが、純然たる藤子不二雄ディレッタント諸氏の間では、企画が豪華なだけで、漫画そのものは、可もなく不可もなく、記録的価値を越える程のものではないというのが、異口同音の見解のようだ。

その理由は簡単。通常の藤子不二雄作品の文体やリズムが異なるからなのだ。

『おそ松くん』『オバケのQ太郎』『ブラック団』による夢の饗宴と銘打ちながらも、そのネームから察するに、実質ストーリーを構成したのは、赤塚不二夫であり、あくまで、この頃、頻繁に描かれるようになった長編版『おそ松くん』に、『オバQ』や『ブラック団』のキャラクター達がゲスト出演を果たしたものと見て差し支えないだろう。

赤塚はこの少し前に、初期赤塚ギャグの代表作の一つである『そんごくん』(「小学四年生」64年4月号〜65年3月号ほか)なる「西遊記」のパロディー漫画を連載しており、ましてや、『ギャハハ三銃士』に携わった藤子・F・不二雄、藤子不二雄A、つのだじろうもまた、各自銘々が超人気漫画家となって多忙を極めていた時代である。

赤塚にとって自家薬籠中の物である「西遊記」をモチーフとしたストーリーテリングを、焼き直しという形で、何の苦もなく、その場ででっち上げるなど、造作もないことであったに違いない。

詳細な具体例をこの場にて語ることは避けるが、実際、前述の『そんごくん』と『ギャハハ三銃士』を改めて読み比べてみた際、作劇面から演出面に至るまで、その類似点は、枚挙に暇なく見て取ることが出来るのだ。

さて、当時、現役であった「少年サンデー」愛読者はともかく、後の後追いの藤子不二雄ファンの間で、絶大な評価を得たとは言い難い本作『ギャハハ三銃士』であるが、そうしたマイナス面を念頭に置いた上でも、当時の『オバQ』&『おそ松』人気の白熱ぶりをダイレクトに伝える好企画であり、両タイトルをドッキング企画という形で、また『ブラック団』をサポート役に、更なる相乗効果を狙った「少年サンデー」編集部による熱烈なプロモート戦略の一端を窺い知る点においても、その資料的価値は至って高い。

因みに、つのだじろうの『ブラック団』であるが、『おそ松』や『オバQ』に比べ、社会現象化する程のヒット作には至らなかったものの、連載終了後、朝日ソノラマの「サンコミックス」レーベルから、全2巻により単行本化された際、東京大学の駒場購買部にて、ベストワンの売れ行きを記録するなど、東大生に最も人気のある漫画として、ホットな話題を振り撒いたことも、この場を使って特記しておきたい。


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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2024-12-24 21:15:58
今度は「ギャハハ三銃士」ですね。これは「藤子・F・不二雄大全集」版「オバQ」第4巻の巻末に掲載されてますので、現在でも読む事が出来ます。

何度か共演のあった「おそ松」や「オバQ」、そして共演が少ない「ブラック団」キャラが、お馴染みの「西遊記」を演じるのはうれしかったです。この中でも孫悟空役のチビ太は、これより前にキャラを流用して「そんごくん」に登場(ここではデカパンも登場)、またアニメでも第2作や、「バカボン」キャラとの共演作「カレーをたずねて三千里」で孫悟空を演じるなど、孫悟空はチビ太の当たり役でしたね。

でも、表紙に登場しているトト子が本編に登場しないのは残念でした。といっても「西遊記」の事ですし、せいぜいよっちゃん(オバQ)ぐらいしょう。

今回掲載された「サンデー増刊」には、他にも「おそ松」キャラによる「ギャハハ世界旅行」、オバQによる歴史紹介「まんが歴史年表」、そして連載漫画のキャラによる特製カレンダー「人気者カレンダー」ってのがあります(オークションサイトで知った)。「人気者カレンダー」は「おそ松」の他、「ミラクルA」「W3」などの漫画が掲載して面白いですが、私が興味あるのは「ギャハハ世界旅行」です。

「ギャハハ世界旅行」は六つ子・イヤミ・チビ太らが世界旅行をしたという設定でのスゴロクです。この時期はお正月になると、漫画キャラのスゴロクが付録についており、他にも「怪物くん」や「オバQ」などがあります。2年後の1968年ではメキシコオリンピック開催にちなみ、「おそ松」と「ア太郎」(ただし×五郎はまだ生きている。デコッ八以降キャラも出ない)がメキシコまで行くという設定、「あがり」では、ここでは出てないトト子が、メキシコの民族衣装を着ているという、この時期では驚くシーンがあります。

こういった特集記事やスゴロクなんか見てみたいものです。
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Unknown (MT)
2024-12-25 15:49:03
名前を入れるのを忘れてました。

「MT」です。
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