どんな困難であろうと、人が最後まで克服できないようなものは決してない
逆境に直面して「よし!必ず乗り越えて見せる」と心のファイティングポーズをとれたなら、その瞬間に脳も闘う姿勢をとる。闘うための神経伝達物質が脳と体内を駆け巡り、脳細胞が発火。シナプスやニューロンが伸びてつながる
「生きるのが楽しくなる脳に効く言葉」中野信子 脳科学者
今日という1日で一生を終わるつもりでやるのだ。そうしないと本当に何もできない一生となる恐れがある
内村鑑三
人としての価値は、どれだけ他人のためになったか、どれだけ世の中のために考えたかということだと思います
極端に申し上げれば、自分のことだけを考えて生きる生き方、これは人間以外の他の動物が皆やっている
人間が他の動物より優れているとすれば自分のことだけではなく他人のためになろうとする心があるからだと思うのです
「あなたが、あなたの現状を変えられる唯一の人間だ。 あなたの夢が何であれ、それを追いなさい」
そのために死ねる何かを見つけていない人間は生きるのにふさわしくない
キング牧師
でもこの事実に気づいている人がいるのだろうか。思考が日常生活を映す鏡であることを知っているのだろうか
私の人生は楽しくなかった。だから私は自分の人生を創造したの。
My life didn’t please me, so I created my life.
Coco Chanel (ココ・シャネル)
1883年8月19日、フランス南西部のソミュールに生まれる。
11歳のときに母が病死、行商人の父にも捨てられ孤児院、修道院で育つ。
18歳で孤児院を出た後、お針子仕事のかたわら歌手を志してキャバレーで歌うようになる。「ココ」は愛称で当時歌っていた曲名にちなんでつけられたもの
その後、歌手を目指しヴィシーでオーディションを受けるも、落選ばかりであったために芸能界への道はあきらめた
退屈しのぎで制作していた帽子のデザインがそこで認められ、バルサンの援助により、1909年、パリ17区マルゼルブ大通り(fr)160番地で、帽子のアトリエを開業する
1939年、当時4000人を抱える大企業として成長したシャネルだったが、コレクション前の苛烈な労働条件に、労働者側がストライキを敢行。苦労してその地位を築いたシャネルには労働環境を重視する彼らの考えを受け入れられずに対立し、シャネルは一部店舗を残し全てのビジネスを閉鎖、一時引退する
1940年代半ばまでに、シャネルNo.5の売り上げは全世界で年900万ドルに達していた。この金額は、21世紀の価値に換算すると、年2億4000万ドルに値する
晩年のシャネルは、孤独による不安や恐怖などの症状と不眠症に悩まされ、1日1本のモルヒネ注射が欠かせなくなっていた。シャネルは1971年、住居としていたパリのホテル・リッツにて、コレクションの準備中に87歳で没した