■私が売ることができたのは、顧客がいると信じていたからにほかならない
20数年も前、私は訪問販売のセールスマンをしたことがある。
マネージャーのウォルターは、私が^オフィスに帰ってくると、私を呼び、ひとつ頼みたいことがあると言った。
地図の上で私の担当地域を指差すと、何週間前にその地域を訪問したときに、買いそうな女性が一人いたと言うのだ。そして「どの家だったかははっきり覚えていなが、端から訪問していけばいつか必ず見つかるだろう。探してみてくれないか」と
それなら簡単に売れると信じた私は、マネージャーの話に乗った。
外に出て、彼に教えられた地域で一軒一軒訪問し、そのたびに買いたがっている女性が必ず見つかったのだ。
マネージャーが言っていた女性は実は存在しなかったのだと気づいたのは、それから何年もたってからだ。彼はその地域に行ったことすらなかった。
この話の興味深い点は、ウォルターの話を信じた私が、そのたびに必ず商品を売ったことだ。私が売ることができたのは、顧客がいると信じていたからにほかならない。
人の行動は、「自分自身について信じていること」や「自分の能力や自分が住む世界について信じていること」と常に一致している。
■彼はなぜそんなに早く昇進できたのか
キャロル・ダウンズは、最初は当然のことだが比較的重要でない地位にいた。
だがやがてデュラントの右腕になるまでその腕を買われ系列の自動車販売会社の社長となった
ところでこの地位は報酬以上の働きをすることによって得たものである。
彼にどうしてそんなに早く昇進できたのかを尋ねた。
彼はその理由を短い言葉で説明してくれた。
最初デュラント氏の下で働いていたとき、私はあることに気がつきました。
それは、社員全員が退社したあとでも、氏だけが遅くまで残って仕事をしていたことでした。それで私も残って仕事をするようにしたのです。
誰に頼まれたわけでもありませんが、誰かがそこにいてデュラント氏が必要とする手伝いをしなければならないと考えたからです。
というのは、デュラント氏がよく「誰か手紙のファイルをもってきてくれないか」とか、「ちょっと誰か手伝ってくれ」といって、周りを見回している姿を見かけていたからです。いつの間にか私は、その「誰か」の役目を果たしていたわけです。
それでデュラント氏は私を呼ぶ習慣がついてしまったのです。
「私を呼ぶ習慣がついてしまった!」
この言葉を噛みしめていただきたい。この言葉には、深い大きな意味があるからである。
デュラントには、なぜ「ダウンズ」の名を呼ぶ習慣がついてしまったのだろうか。
それは、デュラントが「誰か」を呼ぼうとしたとき、いつもダウンズがいたからである。
しかも、ただいたわけではない。役に立とうという心構えでそこにいたからである。
ダウンズは誰かに命令されて、そこにいたわけではない。また、彼はそうすることによって給料を得ていたわけでもない。
ウイリアム・クラボ・デュラント(1861年~1947年)
自動車産業創成期にゼネラルモーターズ(GM)を創業した人物
いついかなる時も報酬以上のことをせよ。行動計画を立て積極的に行動し報酬以上のことをする習慣を身につければ、あなたはどこの誰よりもその利益とモチベーションを得ることができる
報酬以上の仕事をしてきた人は、報酬以下の仕事しかしていない人より高い位置につき高い報酬を得ているという事実であった。このことについて半世紀以上にもわたって研究を重ねてきた
私はこの仕事の分の給料はもらっていない。ばかばかしいこんなことをやれるもんか こうした事を口にするタイプの人間で成功した人は一人も見たことはないし成功することはこれからも皆無だろう
■彼は30代半ばで始めたガソリンスタンドの経営に失敗
新しく始めたレストランの経営がやっと軌道に乗った頃一緒に働いていた息子を亡くし、さらにレストランが火事に
その後独自のスパイスと調理法で作る料理を考え出し経営を立て直すが店の近くに建設されたハイウェイで車の流れが激減ついに彼はレストランを手放すことになる
彼の手元に残ったのは1台の車だけ
ただそんなどん底の中でも自分が開発したスパイスと調理法を教えるフランチャイズビジネスの原型となる事業を思いつく。その時彼の年齢は65歳、車で生活しながら全米をまわり売り込みをかける。その結果最初に契約をもらったのは1010人目だった。彼の作ったフランチャイズビジネス ケンタッキーフライドチキンは現在世界80カ国に1万店舗以上展開している その人の名はカーネルサンダース「情熱思考」
■全米販売担当重役協会が行った調査で明らかになったことがある
新規販売の80%は同じ潜在顧客にかけた5回目以降の電話で成立している
営業マンの48%は一回の電話でダメならその潜在顧客との交渉を中止する
25%は2回目の電話で中止する
12%は3回目の電話で中止する
10%は電話をかけ続ける
つまり最後の10%に入る営業マンが新規開拓に成功するのである
このことは営業マンだけでなくすべての人について言える
彼らが最初に勝利する相手は自分自身である「戦略ノート」
■エドウィン・C・バーンズは「あなたが心底そうしようと望んだことは必ず実現する」という一大事実を体験した人のひとり一人である。
彼の出発点は偉大なエジソンの共同事業者になりたい、という燃えるような願望であった。
この願望を抱いたとき、バーンズはそもそも何から手をつけたらよいのかさっぱりわからなかった。それどころかバーンズには次のような二つの大きな問題があったのである。
1、彼はまだ一度もエジソンと会ったことがなかった!
2、エジソン研究所のあるニュージャージー州のイースト・オレンジまでの汽車賃がなかった!
いかがだろうか。あなたはこのような二つの大きな障害にくじけない心構えが今あるだろうか?
たいていの人はこれだけでがっかりしてしまうものだが、バーンズの願望は月並みのものではなかった。とにかくエジソン研究所に彼はたどりついた。
彼はエジソン研究所にたどりつくと、開口一番こう言ったものである。エジソンさん、私はあなたと共同で事業を行いたくて、こうしてはるばるやってきました」
これがエジソンとバーンズの初めての出会いだった。エジソンはこのときの感想を後年次のように語っている。
「バーンズはまるで浮浪者のような姿で私の前に現れてね。びっくりしたもんだよ。でも私は彼の表情から、この男は一度決心したことは必ずやり遂げる、という気性をもっているな、と見て取ったんだ。」
当時のバーンズは本気でエジソンの共同事業者になることを願っていた。目標を達成するまであきらめない決意だったのだ。
彼が(バーンズ)最初に持っていたものは、明確な目標とそれを達成するまでは、決してあきらめないという固い決意だけだった。「思考は現実化する」
後に「制作エジソン、販売設置バーンズ」
という有名なキャッチフレーズができ、バーンズは巨万の富を手にし大成功をしたのです。
何故バーンズは成功を収めることができたのでしょうか。
それはバーンズには燃えるような願望があったのです。
エジソンと仕事がしたいという燃えるような願望があったのです。
バーンズは偉大なエジソンのパートナーになることを
鮮明に思い描きました。そしてチャンスに恵まれる自分を思い描きました。
とにかく自分の成功している姿をイメージしまくったのです。
■3人の労働者が道端で働いていた。
3人とも同じような仕事をしているように見えた。
そこを通りかかった人が、まず1番手前の人にこう尋ねた。
「あなたはいったい何をしているのですか?」
彼は、面倒くさそうにこう答えた。
「レンガを積んでいるんですよ」
通行人は2番目の人に同じ質問をしてみた。すると2番目の人はこう答えた。
「塀を作っているんですよ」
通行人は3番目の人に近づいた。彼も他の二人と同様のことをやっているように見えた。
「あなたは何をしているのですか?」
3番目の人は笑を浮かべながら、静かにこう答えた。
「大聖堂を建てているところなんです」
1番目の人にとってレンガ積みは単なる労働である。2番目の人にとっては塀を作るための手段になっている。3番目の人には大聖堂を建てているという壮大な目標イメージがある。
同じ作業をしているにもかかわらず内面の充実感や満足度には天と地ほどの開きがあるのだ。
「何をしているのですか?」と尋ねられて、あなたは何と答えるだろう。
その答えこそがあなたの将来を方向づけている。
「何を作り出したいのか」「何をしたいのか」という長期的なビジョンが自分の中で明確になっていれば、おのずと答えも違ってくるはずなのである。