町おこしと、街活性化。
同意語のように扱われることが多いようですが、
ちょっと違うのではないかなと最近思います。
平行している部分も多々あるけれど、分けて考えたほうがわかりやすいのかなあ。
(あくまで、個人的見解なのでもし間違っていたら教えてください)
町おこし・・・、一番大切なのは、その街の個性を生かしきることで、他県、他市からも注目され、街全体に勢いがつくようにしていくこと。
たとえば、その街の特産物を今風に改良し売り出すとか、文化歴史を再度見直し、掘り起こし
ていくことで、個性ある魅力をアピールしていくなど。
街活性化は、主に商店街など商業ベースで繁盛し、主にそこに住んでいる人たちが活発に行きかう為に工夫することがベースにあるような気がする。
たとえば、今流行りのバルだったり、お祭りなど。
まちづくりと一言で言っても
いろんな方向性があり、景観計画との兼ね合いも重なる部分とそうではない部分がありますね。
そのあたりはきちんと分けて考えないと、かみ合わないところが出てきたり、
結局、他県、他市の真似だけで終わり、机上の空論となってしまう気がします。
まずはそれらを市民が理解し、その意義を分かち合っていることが大切ですね。
一部の人だけが盛り上がると、それは個人や個々の企業の経済的追求になり、結局決裂してしまう結果となり、ほとんどがそれで失敗しているように感じられます。
ある関東地区でまちづくりについて講演させていただいた時、いろいろな人の意見を聞き取ると、限られた地域、自分のお店、会社のことばかりに終始して、最初の決まりごと(たとえば、花壇をみんなでというような)はいつの間にか形骸化してしまっているということらしいのです。
決まりごとが先にあるのではなく、まずはそこに住む人たちの意識の変化を導いてからでないとなかなか進まないものだなと思いました。
自発的な活動になるためには、やはり誇りや喜び、高揚感が必要だろうと思います。
先日の景観計画策定協議会の会議でお話が出ていたのですが、
たとえば、あるお宅のガーデニングがとても素敵だったとする。それを皆がすばらしいねと褒めて、その人からさらに近隣の方たちへその種を分けることによって、どんどん花や緑が増えていく
それは、決して強制的にするということでなく、みんながハッピーな状態を作っていくことなのでしょう。
ディズニーランドの、お掃除の人たち(カストーディアル)はどうしてあんなに楽しそうに仕事をしているのだろう?ねって、それを語る委員の方は問いかけました。
掃除というと通常だれでも嫌がる仕事なのに、カストーディアル募集があると、かなりの高い競争率で、それは若者のあこがれの職業なのです。
なぜでしょう?
それは掃除をしているというよりも、キャストとして「夢の国でみんなに夢を与えているんだ」という意識を持っていて、それに喜びと誇りを感じているのではないでしょうか?
また、掃除をしているとき、とても楽しそうに「見える」ので、それを見ている人は気持ちがいいし、さらにハッピーな気持ちになっていき、それが相互に影響する伝染型相乗効果になっていくのだと思います。
同じことをするにしても、どんな意識を持ってそれをするのか?それによって、人の幸せは違ってくるのですね。
先に個人の利益・お金ではなく、幸せ感、わくわく感、それが最終的には経済循環につながっていくということが理想ですね。(結果は後から付いてくることを信頼すること)
何をするかではなく、それをどのようにするか?
最終的には、それに尽きると思います。
あれ?オーラソーマ哲学につながったわ
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