背番号の話も残り7回となりました。
今回は24についてです。
2012年、西武では「24」が永久欠番になりました。
西鉄黄金時代の立役者であり「神様、仏様、稲尾様」と称えられた“鉄腕”稲尾和久です。
稲尾の生誕75周年を記念して制定されました。
1年目に21勝、防御率1.06の成績で新人王と最優秀防御率。
その後8年連続で20勝以上を記録し、1961年には日本記録となる42勝をマークしています。
シーズンだけでなくシリーズでも結果を残しており、1958年、巨人とのシリーズで3連敗のあと4連勝。
うち6試合に登板し第3戦から5連投で4勝をマークし、「神様、仏様、稲尾様」が新聞紙上を賑わせました。
また、巨人ではV9幕開けに貢献した“8時半の男”宮田征典が「24」です。
“鉄腕”稲尾とは対照に心臓疾患で長いイニングを投げられずに救援専門。
1965年にはリーグ最多の69試合に登板し、20勝をマーク。
試合終盤に差し掛かる8時半頃にマウンドに登るための異名だったそうです。
一方、左腕では42歳で最優秀防御率に輝いた広島の大野豊も「24」。
ダイエーと日本ハムで「24」を背負った下柳剛も44歳まで現役で投げ抜いています。
また、横浜大洋の「24」はアキレス腱断裂から復活した遠藤一彦がエースとして君臨しました。
ヤクルトでは“ギャオス”内藤尚行の背番号でした。
その後、巨人では“絶好調男”中畑清や“ウルフ” 高橋由伸が受け継ぎました。
高橋由伸は攻走守三拍子揃った外野手でしたが、同じような外野手が「24」を背負っています。
西武では若手時代の秋山幸二、中日から移籍してきた平野謙。
阪急では蓑田浩二、日本ハムでは陽岱鋼、ソフトバンクでは内川聖一、長谷川勇也。
なお、秋山、蓑田、陽、内川はいずれも背番号「1」に変更しています。
また、蓑田、陽は二人とも巨人に移籍して「2」を背負っています。
阪神では代打の切り札・桧山進次郎の番号でした。
MLBでは史上最高のセンターと称される“ザ・キャッチ”ウィリー・メイズ。
NYジャイアンツで「24」を背負い、首位打者1回、本塁打王4回、盗塁王4回。
新人王、12年連続でゴールドグラブ賞そしてMVPを2回受賞しています。
何より有名なのが1954年のWシリーズ第1戦、8回表のビッグ・プレーです。
インディアンスのビク・ワーツの放ったセンターオーバーを背走したままキャッチ。
打球をほぼ見ることなく全速力で落下点に走りこんでのスーパーキャッチでした。
そして、「24」はSFジャイアンツの永久欠番になりました。
シアトル・マリナーズやシンシナティ・レッズで活躍したケン・グリフィー・ジュニア。
父であるケン・グリフィー・シニアは「ビッグレッドマシン」の2番打者であり、
日米野球には親子で来日したこともあります。
3年連続本塁打王に輝くなど通算630本塁打を記録。親子で野球殿堂入りしています。
マリナーズ時代の「24」は引退と同時に永久欠番になっています。
SSSBではあっきんさんが着用してます。
参考記事
【背番号物語】
SPAIA「スポーツ×AI×データ解析でスポーツの観方を変える」
今回は24についてです。
2012年、西武では「24」が永久欠番になりました。
西鉄黄金時代の立役者であり「神様、仏様、稲尾様」と称えられた“鉄腕”稲尾和久です。
稲尾の生誕75周年を記念して制定されました。
1年目に21勝、防御率1.06の成績で新人王と最優秀防御率。
その後8年連続で20勝以上を記録し、1961年には日本記録となる42勝をマークしています。
シーズンだけでなくシリーズでも結果を残しており、1958年、巨人とのシリーズで3連敗のあと4連勝。
うち6試合に登板し第3戦から5連投で4勝をマークし、「神様、仏様、稲尾様」が新聞紙上を賑わせました。
また、巨人ではV9幕開けに貢献した“8時半の男”宮田征典が「24」です。
“鉄腕”稲尾とは対照に心臓疾患で長いイニングを投げられずに救援専門。
1965年にはリーグ最多の69試合に登板し、20勝をマーク。
試合終盤に差し掛かる8時半頃にマウンドに登るための異名だったそうです。
一方、左腕では42歳で最優秀防御率に輝いた広島の大野豊も「24」。
ダイエーと日本ハムで「24」を背負った下柳剛も44歳まで現役で投げ抜いています。
また、横浜大洋の「24」はアキレス腱断裂から復活した遠藤一彦がエースとして君臨しました。
ヤクルトでは“ギャオス”内藤尚行の背番号でした。
その後、巨人では“絶好調男”中畑清や“ウルフ” 高橋由伸が受け継ぎました。
高橋由伸は攻走守三拍子揃った外野手でしたが、同じような外野手が「24」を背負っています。
西武では若手時代の秋山幸二、中日から移籍してきた平野謙。
阪急では蓑田浩二、日本ハムでは陽岱鋼、ソフトバンクでは内川聖一、長谷川勇也。
なお、秋山、蓑田、陽、内川はいずれも背番号「1」に変更しています。
また、蓑田、陽は二人とも巨人に移籍して「2」を背負っています。
阪神では代打の切り札・桧山進次郎の番号でした。
MLBでは史上最高のセンターと称される“ザ・キャッチ”ウィリー・メイズ。
NYジャイアンツで「24」を背負い、首位打者1回、本塁打王4回、盗塁王4回。
新人王、12年連続でゴールドグラブ賞そしてMVPを2回受賞しています。
何より有名なのが1954年のWシリーズ第1戦、8回表のビッグ・プレーです。
インディアンスのビク・ワーツの放ったセンターオーバーを背走したままキャッチ。
打球をほぼ見ることなく全速力で落下点に走りこんでのスーパーキャッチでした。
そして、「24」はSFジャイアンツの永久欠番になりました。
シアトル・マリナーズやシンシナティ・レッズで活躍したケン・グリフィー・ジュニア。
父であるケン・グリフィー・シニアは「ビッグレッドマシン」の2番打者であり、
日米野球には親子で来日したこともあります。
3年連続本塁打王に輝くなど通算630本塁打を記録。親子で野球殿堂入りしています。
マリナーズ時代の「24」は引退と同時に永久欠番になっています。
SSSBではあっきんさんが着用してます。
参考記事
【背番号物語】
SPAIA「スポーツ×AI×データ解析でスポーツの観方を変える」
7時半の美女!