鬼井江の世界(gooブログ)

中山道歩き旅 高崎宿→倉賀野宿へ

 2022年10月13日~15日(2泊3日)の中山道歩き旅(1日目と2日目)の記録は前回のブログに。

 15日(3日目)の記録を簡単に。

 昨日の碓氷峠歩きで疲れていたので、直接(歩き旅をしないで)列車で帰ろうかと思った。しかし、何とか歩けそうだったので、(高崎駅前の宿泊したビジネスホテルの近くの道が中山道だったこともあり)次の宿場(5km先)まで、歩くことにした。高崎宿から江戸日本橋(中山道の起点・終点)までは、おおむね平坦だと予想できていた。

(5km先なら、1時間半ぐらいで歩けるだろう)と予測できたので、足腰の調子はやや悪かったが、歩くことにした。この日の中山道歩きのスタートは午前7時30分だった。

 去年の10月下旬に「高崎宿~碓氷関所跡」間の中山道歩きを終えている。今日は、高崎宿から倉賀野宿まで歩くだけで、JR倉賀野駅から列車で大阪へ帰ることにした。

 この間の中山道は(現在)県道121号線そのものだった。すべて広くて車の量も多かった。車がビュンビュン走っている道で、「中山道の雰囲気」はまったくなかった。倉賀野宿への途中で、浅間山古墳(4、5世紀ごろ築造の前方後円墳)が街道筋から100メートルぐらい離れた位置にあったので、見学しに行ってみた。この地方を治めていた豪族の墳墓とのことだった。こんもりと茂っていて、それなりの高さがあった。さらに、安楽寺の本堂の裏にも小さな古墳があった。浅間山古墳ほどの高さはなく、見た目にはっきりわからなかったので、(どんな大きさだろう?)と、好奇心もあって、見学しに行った。高さ5メートルぐらいの小さな古墳だった。(ちょっとがっかり)

 古墳を2か所見学できたが、街道筋に江戸時代を感じさせるものはほとんどなかった。倉賀野宿中心部付近に、脇本陣跡(現在、立派な建物が建っていた。)や「高札場跡」があり、江戸時代の名残を感じさせてくれた。倉賀野宿で見るべき(江戸時代の雰囲気を持つ建物など)は少なかった。

 予定通り、午前9時ごろにJR 倉賀野駅に到着。倉賀野駅から東京駅経由熱海駅まで普通列車に乗った。熱海駅から普通列車や快速など、複数回の乗り換えで、JR堺市駅まで。倉賀野駅から堺市駅まで、長い、長い「車内生活」を過ごした。帰宅は午後9時を過ぎていました。疲れました。

(東京駅から堺市駅まで普通・快速利用の旅は、何度か経験していましたので、それほど疲れなかったのですが、倉賀野駅から東京駅間は、普通列車だと、時間がかかることがよくわかりました。今回は本当にかなり疲れました。)

 以上 中山道歩き旅(2022年10月中旬)のまとめです。

倉賀野宿 中心部(中山道を雰囲気が残っている建物)

脇本陣跡の碑

高札場跡の碑 中山道を感じさせる道標も少なかった。 

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